【無料公開版】心が白く染まる時
🕑 Added 2022-06-15 13:34:56 +0000 UTC
「──……と、大体これくらいあれば問題無いですかね?」
「えぇ、大丈夫です。……ありがとうございます、春井先生」
ここは、三年生の自由登校期間を目前に控えた、とある高校の放課後の図書室。
一月末ということもあって、窓からはちらほらと雪が降っている様子も見えているが、暖房の効いた図書室は暖かく心地良い室温で保たれていた。
そんな穏やかな空間にて、私──春井静香が確認するように聞き返した言葉に笑みを浮かべて答えたのは、現代文の教員を務めている秋山健二先生だった。
彼は来週一年生の授業で調べ学習を行いたいらしく、学習に必要な資料が揃っているかの確認をしに来た為、図書室司書である私が対応していたのだ。
そして、ここだけの話……彼とは、結婚を目前に控えた恋人関係でもある。
元々、本の趣味が合うことから教員の中でも特に接点が多く、優しく真面目な性格の彼に密かに惹かれていた。
本の話をする為にプライベートで会って話す機会が増え、去年度の春頃に二人で食事をしていた際に彼から告白されて交際し、約一ヶ月前のクリスマスイブにプロポーズされて婚約へと至った。
とは言え、今の時期は年度の移行や成績の評定、学年末テストの準備や三年生の受験などでバタバタしている。
教員同士の結婚ということもあり、年度が替わる際に私が異動することになっており、その準備もある。
その為、正式な婚姻は諸々が落ち着く来年度の春にする予定となっていた。
そういった諸々の仕事への影響もある為、婚約のことは教員には公言しているのだが、何人かの教員が生徒に言いふらしていることもあって今ではこの学校のほとんどの人間は私達のことは知っている。
とはいえ、私も健二さんも目立つのはあまり好きではない性分の為、校内では今みたいに仕事のことでどうしても話さなければならない時以外は極力関わらないようにしている。
「……そういえば、秋山先生はこれから部活ですか?」
授業で必要な資料の確認が終わり、持ってきていた書類の整理をしている健二さんに、私はそんな風に問いかけた。
彼はそれに一瞬驚いたような表情を浮かべたが、自分が身につけている暗い色のジャージを確認して、すぐに照れ臭そうにはにかんだ。
「あぁ、はい。卓球部の方に。……春井先生は、閉館時間までここにおられる感じですか?」
「そうですねぇ……あ、でも、これから千原さんが来て話す予定ですよ」
私の言葉に、健二さんは一瞬キョトンとしたような表情で「千原さん……?」と聞き返したが、すぐに何かを思い出したような表情で「あぁ、三年生の」と小さく呟いた。
「本当に仲が良いというか……好かれていますよね」
「そうですか? 誰もでもあんな感じだと思いますけど」
「いやいや、春井先生だけですよ」
苦笑いを浮かべながら顔の前で手を横に振る健二さんの言葉に、私は思わず目を丸くした。
……千原律。
頭が良い子で、入学してきた時からよく本を借りに来る少女だ。
彼女がよく借りる小説が私の趣味と合う物が多かったことから、ある時私が彼女の好きそうな作品を勧めたのがきっかけで、交流を持つようになった。
ある時からは昼休憩や放課後になると毎日のように図書室に訪れて本の感想や他愛のない世間話をするようになり、私が会議等で図書室にいないときもよく来ていたようで、いつしか今のように前以って日時を決めて会って話すようになった。
少し変わっている子ではあるが、話してみると愛嬌のある素直な良い子で、かなり親しみやすい子だと思うのだけれど……──
「──……秋山先生は、千原さんが苦手なんですか?」
「……中々ストレートに聞きますね」
ふと浮かんだ疑問をそのまま投げかけてみると、健二さんは苦い表情を浮かべてそう答えた。
しかし、彼はすぐに整理した書類を机の上でトントンと整理しながら「まぁ、そうですね」と続けた。
「受け持っている学年では無いので、関わることは滅多にありませんが……掴み所が無いというか、何というか……彼女と話していると、こちらが試されているような気持ちになるんですよね」
「試されている?」
「上手く言えないんですけど、なんかこう……自分の心を見透かされている感というか……」
健二さんはそこまで言うとハッとした表情を浮かべ、すぐに軽く首を横に振って片手を自分のこめかみに当てた。
「すみません、生徒の陰口なんて……忘れて下さい」
「いえ、私は構いませんよ。……千原さんを苦手だと言う方は、教員の中でも少なくないですから」
申し訳なさそうに謝罪する健二さんにそう返して見せると、彼は一瞬キョトンしたような表情を浮かべた後、すぐにハッとしたような表情を浮かべて目を伏せた。
……そう。千原さんのことを苦手だと言う教員は、何も彼が初めてでは無い。
小さい頃からよく本を読んでいたという彼女の豊富な語彙力は、独特な口調も相まって少し取っつきにくい部分があり、それに苦手意識を持つ教員は少なくない。
私が千原さんと親しいという話をすると、大概の教員は驚愕の反応を示すことが多く、中には心無い言葉を吐く者もいるくらいだ。
人には誰しも合う合わないはあるし、仕方が無いことなのかもしれないが……そういった人々に比べれば、健二さんの反応はまだ良心的な部類にすら入ると思う。
「……と。少し長居し過ぎてしまいましたね。では、自分はこの辺で失礼致します」
会話に詰まり気まずくなったのか、彼は教室の時計を確認しながらそう言うと持参した資料を持ち、軽く会釈をして図書室を後にする。
私はそれに「お疲れ様です」と会釈を返し、すぐに小さく息をついて椅子の背凭れに背中を預けた。
しかし……健二さんがあんなことを言うなんて、珍しいな。
真面目で温厚な性格の彼が特定の誰かに対して苦手意識を持つというのは少なく、その上こういった職場で愚痴を言うというのは滅多に無いことだった。
私が話題に出したから、というのも原因の一つではあるのかもしれないが、しかし……受け持つ学年が異なる千原さんに、そのような感情を抱くとは……。
「──……い? お~い、聴こえてるかい?」
「んぇッ!?」
思考の外から投げ掛けられた声に、私は思わず素っ頓狂な声を上げながら椅子の上で跳ね上がった。
その際にテーブルに膝を打ち、ガンッ! と鈍い音を立てて上に乗ったデスクトップパソコンを揺らしてしまう。
「ふっ……あははっ、ごめんごめん。別にそういうつもりは無かったんだが……驚かせてしまったようだね?」
鈍い痛みが走る膝を押さえて蹲っていると、頭上からクスクスと楽しそうに笑いながら紡がれた声が降ってくる。
聞き覚えのあるその声に顔を上げた私は、すぐに小さく息を吐くように口元を緩めて口を開いた。
「もう、千原さんってば……そんなに笑わなくても良いじゃない」
「はははっ……いやいや、すまない。あまりにも可愛らしい反応だったものだから、つい……ね」
痛みと恥ずかしさから不満を漏らした私の言葉に、千原さんは小さく笑みを浮かべながらそう答えた。
彼女の動きに合わせてショートカットの白髪が揺れ、人形のように整った綺麗な顔立ちが緩く綻ぶ。
窓の外をちらつく雪のように透き通る白い肌も相まり、どこか浮世離れした空気を纏った彼女は、歩いてカウンターテーブルの裏側に回りつつ口を開いた。
「しかし、僕が来ても声を掛けるまで全然気付かないものだから……何か、考え事でもしていたのかい?」
「考え事……まぁ、そうね。仕事のことで、色々と」
「仕事? てっきり、秋山先生との諸事について考えていたのだと思ったのだが」
「しょ……!? な、何言って……!」
「はははっ。冗談だよ、冗談。本気にしないでくれ」
口では謝罪の言葉を述べながらも、どこか悪びれることのない様子で言う千原さんに、私は「もぉ~」と怒ったフリをして見せながらも内心少し安心する。
やっぱり……彼女は、普通の女の子だ。
人を弄ったり、たまに少し意地悪な部分もあって……でも、根は優しくて愛嬌のある、年相応の普通の女子高生。
ただ、フィクションの世界から出てきたかのような美麗な外見をしており、口調や言い回しが少し人とは違うだけ。
とは言え、それらも彼女の境遇を考えれば仕方のないことではある。
彼女は先天性の病気を患っており、その治療の為に飲んでいた薬の副作用で髪色が白くなったらしい。
最初はこのことについて真偽を疑う教員もいたが、本人が提出した診断書から確証は得ている。
そして、家や病院にこもりがちだった彼女にとっての唯一の娯楽が、読書だった。
物心ついた時から、両親の持っていた小説を好んで読んでいたらしいので、彼女の語彙力の豊富さや独特な口調はその影響ではないかと予想している。
とは言え、こういった彼女の事情も親しくなってから聞いたことだ。
初めて彼女を見た時、私は純粋に、小説の世界に出てきそうな可愛らしい女の子だと思った。
透き通るように綺麗な声で紡がれる彼女の言葉は聞き心地が良く、まるで読書に没頭し、湧き水のように溢れ出す情景の世界に包まれている時のような心地よさがあった。
親しみやすい愛嬌のある性格もあって、私は彼女との交流に一切の抵抗感などは無かった。
「……千原さんも、もうすぐ卒業かぁ」
ふと、彼女と出会ってからのことを思い出したからか、不意にそんなことを口にしていた。
あまりにも脈絡の無い唐突な言葉に、椅子に腰掛けて鞄から色々と荷物を取り出していた彼女は、キョトンとしたような表情で顔を上げる。
しかし、すぐにクスッと小さく苦笑を浮かべて軽く小首を傾げた。
「どうしたんだい? 急にそんな当たり前のことを言って。もしかして、僕と離れるのが寂しくなったかい?」
「そうだねぇ……それもあるけど、千原さんと会った時のこととか色々思い出しててさ。時が経つのは早いなぁ、と思って」
「……まぁ、そうだね。先生と話す時間はいつも楽しくて、あっという間だったよ」
一見すればキザに見えなくもないセリフを恥ずかしげなく言う千原さんに、私は「もう」と小さく息を吐くように笑った。
すると、彼女は鞄から取り出したノートパソコンを机に置きながら、どこか影のある表情で目を伏せた。
「しかし、やっぱり先生と離れたくないなぁ。いっそ、留年してしまいたいくらいだけど……来年は先生もいないから、意味無いし」
「そうだけど、仮に異動じゃなくてもダメだよ。折角第一志望の大学に受かったのに、勿体無いじゃない」
冗談めかした口調で言う千原さんにそう釘を刺してやると、彼女はどこか納得していない様子で口を尖らせて目を背けた。
普段は大人びて見える彼女が、こうしてたまに見せる子供っぽい仕草はギャップがあって、私は好きだ。
やはり、他の教員も彼女のことをもっとよく知れば、印象も大きく変わるだろうに……まぁ、彼女の卒業を目前に控えた今となっては、もう遅いのかもしれないけれど。
「……別に、僕は大学なんて興味無いんだよ。あの学校だって、先生が勧めたから……」
そんな中で、彼女は何やら一人でブツブツと呟きながら、ノートパソコンのセッティングを進める。
まるで叱られた子供のような態度に、私は苦笑を浮かべつつ口を開いた。
「それで、これが今日使う道具?」
私はそんな風に問いかけながら、ノートパソコンの横に出してある細長い棒状の機械を手に取った。
すると、ノートパソコンのコンセントを繋げて何やら操作をしていた彼女は不思議そうな表情で顔を上げたが、すぐに私が持っている機械を見て「あぁ」とその表情を緩めた。
「うん、そうだね。……先生は、視線入力って知ってるかい?」
「視線入力……確か、病気とかで寝たきりになった人が、横になったままでパソコンを操作できるようなやつだっけ?」
「大正解。で、これはその為に必要な物なんだ」
彼女はそう言って私の手から棒状の機械を手に取り、開いたノートパソコンの画面の前に横たえるように置いた。
ふむ……視線入力自体は名前しか聞いたことないが、こんな感じの機械を使うのか。
着々と準備を進めていく千原さんの様子を眺めながら、私はどこか感心したように心の中で考えた。
私達は読書という共通の趣味で親しくなったが、彼女はそれ以外にもPCのプログラミング関係の知識も趣味で身につけており、この図書室でもよくその系統の本を借りに来ていた。
私は機械には疎い部類なので、そういった方面の知識については完全に素人なのだが、たまに彼女が制作したソフトウェアに触れさせてもらう機会があった。
本当にド素人な私の意見なんて役に立たないのではないかと思ったが、千原さん曰く、『先生のような知識に疎い人でも使いやすい物にしたいから、むしろ先生が一番適任なんだよ』……とのことだった。
今日も自分の作ったソフトを体験してほしいとのことだったのだが、視線入力を用いたソフトだったのか。
「凄いねぇ……」
気づけば、そんな言葉が無意識に口から零れ落ちていた。
いや……本当に凄い。
このような機械まで使って、そんなプログラミングを組んでソフトまで作って……。
知識が無いから、専門的なことは何も分からないけど……彼女が本当に凄い人なんだ、ということだけはよく分かる。
だからこそ、進路に迷っている彼女に私は迷わず情報系の大学を勧めたくらいだし……冗談だとは分かっているが、私と離れたくないからなんて理由で留年なんてしたら、本当に勿体なさすぎる。
「……先生にそう言って欲しくて、少し頑張りすぎてしまったよ」
そんな私の賛辞に対し、彼女は自分の頬を掻きながら言い、どこか照れ臭そうにはにかんだ。
そうこうしている内に準備が終わったようで、彼女は準備を終えたノートパソコンを私の前に移動させ、パソコンに繋げたイヤホンを差し出してきた。
「さぁ、それじゃあ早速使ってみてくれないか? このイヤホンを付けて、聴こえてくる音声案内に従えば良いからさ」
「えっ、凄いね。音声案内まであるんだ」
平然とした口調で告げられた命令に、私はそんな風に感嘆しながら差し出されたイヤホンを耳につけた。
千原さんが横からパソコンを操作してソフトを立ち上げると、画面いっぱいに紺色の無地の画像が広がり、半透明な白く丸い物体が画面の中を縦横無尽に動き回る。
いや、これは……私の視線?
試しに画面の右側に視線を向けてみると、白丸もフラフラと覚束ない動きで右側に動く。
左側に視線を向ければ、白丸もそちらの方向に動いた。
『それでは、これから貴方の目と画面の距離を測定します』
初めて見る視線入力装置の様子に感動していると、両耳にはめたイヤホンから、無機質な女性の声でそんなことを告げられた。
突然のことに驚いていると、画面の中央に小さな白い球体が出現した。
『頭を動かさないようにして、目線の動きだけで、画面の中央にあるドットを見つめて下さい』
イヤホンから聞こえたその言葉に従い、私はできるだけ顔を動かさないようにして画面の中央を見つめる。
すると、球体は画面の中央でグルグルと回転し、少し時間を置いて粉々に弾け飛んだ。
かと思えば、今度は画面の四隅に同じような印が出現した。
『今度は同じように、四隅にある全ての印に、それぞれ視線を向けて下さい』
音声案内に従い、私は右上にあるドットに視線を向ける。
しかし、上手く視線を合わせることが出来ず中々動かない。
唇をキュッと結んで何とか視線を向けようとしていると、誰かが私のこめかみの辺りに指を当ててきた。
「ダメだよ、顔を動かしたら。頭は動かさないようにして、印を見るんだ」
耳にはめたイヤホン越しに、千原さんのくぐもった声が聴こえてくる。
顔が動いてしまっていたのか……難しいな……。
そんな風に考えながらも、私は彼女に頭を押さえてもらった状態で何とか四隅の印にそれぞれ視線を向け、先ほどと同じように全ての印を消すことが出来る。
かと思えば、今度は画面の左上の方に一つ、同じような円形の印が出現する。
『次は、ランダムな位置にドットが出現しますので、出てきたものに先ほどと同じように視線を向けて、消して下さい』
イヤホンから聴こえた音声案内に従い、私は左上の方にあるドットに視線を向ける。
するとまた同じようにドットが回転して破裂し、今度は右下の方に出現する。
同じように視線を向けてドットを消すと、次は画面の中心に出現し、その次は右上、右下、中央上、左中央、右中央……──。
──キィィィィィィィィィン。
耳にはめたイヤホンから、何やら無機質な音声が聴こえてくる。
しかし、まだ……この作業をやめて良いとは言われていない。
顔を動かさないようにして、視線の動きだけで、画面に出てくる印を消さなければ。
どこからか込み上げてくる使命感に突き動かされるまま、私は画面に表示される印に視線を向けて、消していく。
『そうです。余計なことを考える必要なんてありません。頭の中を真っ白にして、集中しましょう』
無機質な女性の声で告げられた言葉に、私はゆっくりと深呼吸をして、目の前の画面に集中する。
ずっと眼球だけを動かすようにして印を追って目が疲れたのか、段々と視野が狭まり、目の前に表示されている画面以外の情報が遮断されていくのを感じる。
しかし、それでもまだ止めて良いとは言われていないので、必死に両目を見開いて表示される印を追いかける。
「……?」
画面の中心に表示されたドットを見つめた時、なぜか今度は中々消えず、その場に留まったまま回転し続けている。
上手く出来ていないのかと危惧しながらも、ひとまず私はそのまま表示されているドットに意識を集中させる。
すると、回転するドットの形が段々と崩れていき、私の視線の位置を表す白く丸い半透明の印もその中に溶け込んでいく。
それらはやがて紺色の背景も巻き込み、画面の中心に向かって渦巻く白と紺の螺旋となって画面いっぱいに広がっていく。
「ぁぇ……? ぁ……?」
思考を止め、目の前の画面を見つめることに集中していた私の意識は、視界いっぱいに広がる無機質な螺旋へと吸い込まれていく。
しかし、それでもまだ、止めて良いとは言われていないから……私は椅子に座ったまま、目の前の螺旋を見つめ続ける。
──キィィィィィィィィィィン。
──キィィィィィィィィィィィィィィィィィィン。
──キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィン。
頭の中に直接響くような無機質な音声が、思考を失った私の意識を絡めとり、脳内を真っ白に染め上げていく。
ぬるま湯に浸かって浮かんでいるかのような、何とも言えない心地良い浮遊感に身を委ねながら、私は目の前の螺旋を見つめ続けた。