【先行公開版】甘美な媚毒に侵されて 後編
🕑 Added 2022-08-22 12:18:16 +0000 UTC
「サクラの手掛かりは無し……か……」
赤城家の屋敷の一室にて、青野カイトは目を伏せながら重々しい声で呟いた。
彼の言葉に、赤城ヒロは「クソッ」と悔しそうに吐き捨てながら畳の床に拳を打ち付け、緑川シュンはギリッと強く歯ぎしりをしながら拳を強く握りしめる。
それを見た黄瀬サトルは小さく息を吐き、すぐにヘラッと笑って「まーまー」と声を発した。
「ンな焦んなくても、まだ一日も経ってねぇんだし、気楽に行こうぜ? な?」
「そんなこと言って……サクラさんにもしものことがあったら、責任取れるんですか!?」
どこか軽薄さのある口調で言うサトルの言葉に、シュンは怒気を孕んだ声で吠えるように言いながら、バンッ! と目の前のちゃぶ台を強く叩いた。
突然の怒鳴り声と大きな音に、彼等の前にお茶を並べていたユキがビクッと肩を震わせて動きを止める。
それを見たシュンは、その表情を強張らせながら「あっ……」と小さく声を漏らした。
「すいません、俺……カッとなっちゃって……」
「あっ、ううんっ! 平気……」
申し訳なさそうに謝罪するシュンの言葉に、ユキは慌てた様子で首を横に振りつつ、お茶を乗せていた丸いお盆を胸に抱いてそそくさと部屋を出て行く。
それを見たカイトは呆れたように溜息をつき、口を開いた。
「シュン。焦る気持ちは分かるが、もう少し冷静になれ」
「はっ……はい。すみません……」
「そーだな。あと、サトルもあんま適当なこと言ってんじゃねぇぞ」
「うっせ」
シュンを諭すカイトに続けたヒロの言葉に、サトルは僅かに顔を背けながら吐き捨てるように答える。
それを見たカイトは呆れたように小さく笑い、すぐにその表情を引き締めて口を開いた。
「とにかく、今後の動きについて話し合おう。今日探した場所は……」
そんな彼等のやり取りを襖越しに聴いたユキは、お盆を胸に抱く力を僅かに強めると、すぐにその場から離れた。
今朝、同じ戦隊のメンバーである桃井サクラが、共同生活を送っている屋敷から忽然と姿を消した。
丸一日掛けて戦隊のメンバー全員で捜索したにも関わらず、彼女の消息は全くと言っても良い程に掴めなかった。
昨日の戦闘での一件もあり、スコルピオーネを始めとしたデモーニオンの輩が関与していることは明白であったが、デモーニオンからの接触が無かった為にその真偽を確かめることは出来なかった。
大切な仲間が一切の手掛かりを残さないまま消息を絶ったこの状況に、ヒロ達は焦燥感を募らせながらも、懸命にサクラの行方を追って奔走した。
そんな彼等の姿に、ユキの胸は強く締め付けられ、思わず逃げるようにその場を離れてしまったのだ。
昨日の深夜、同じ寝室で眠っていたサクラは突然起き上がり、何も言わずに部屋を出て行きそのまま消息を絶った。
あの時、ユキは部屋を出て行く彼女の姿を確認していながら、突然の失踪を止めることが出来なかった。
毒を受けたサクラの見守りを任されていた上に、昼間の違和感に気付いていたにも関わらず、トイレに行くだけだと……すぐに戻ってくるものだと信じて疑わず、付いて行こうとしなかった。
例え本当にただ少し起きただけだったとしても、昼間受けた毒のことがあったのだから、付き添うべきだったのに。
そんな風に自分を責めるユキに、ヒロ達は彼女が気にする必要は無いと温かい言葉を投げ掛けた。
こんなことになるなんて誰も予想出来なかったのだから、対処のしようなど無かったと。
自分達も何も起こらないものだと油断していたのだし、もし今回の件でユキを責めるのであれば、ユキにサクラのことを一任していた自分達にも非があると。
しかし、彼等の言葉を受けても尚、ユキの気持ちが軽くなることは無かった。
戦隊の面々と違ってデモーニオンと戦う力が無い分、せめて後方支援で彼等の支えになりたいと思い、今まで尽力してきた。
サクラの見守りについても、戦闘を終えたばかりのヒロ達が休息に専念できるよう、非戦闘員である自分が人一倍警戒していなければならなかった。
戦闘力が無い為に捜索に参加することも出来ず、サクラが戻ってくる可能性も考慮して、屋敷に残って待機することしか出来なかった。
自身の任務を全う出来なかった不甲斐なさと、その責任を取ることが出来ない無力感が、彼女の罪悪感を募らせた。
だが、彼女の心を蝕んでいたのは、それだけでは無い。
何よりも彼女の胸中を占めていた物、それは……──。
「……あれ……?」
暗い表情のままサクラと共同の寝室に入ったユキは、窓ガラスに何やら紙のような物が貼り付いていることに気付き、微かに声を漏らした。
引き寄せられるように近付いてみると、それは外側から貼り付けられた白無地の封筒であり、筆で書いたような文字で『赤城ユキへ』と書かれていた。
──一体、誰がこんなことを……?
──ここが私の部屋だと知っているのは、私と、ウォーリアーズの皆くらいの筈じゃ……──
「──……ッ!」
訝しみながらも窓を開けて封筒に手を伸ばしていたユキは、ある一つの可能性に気付くとすぐさま窓から封筒を剥ぎ取り、窓を閉めるのも忘れて封を切った。
『ピンクウォーリアーを返してほしければ、
今日の日付が変わる頃、一人で街外れにある廃ビルに来い。
時間通りに来ない。もしくは、他のメンバーが同行していたり、
このことを他のメンバーに洩らした場合は、
ピンクウォーリアーの命は無い。』
「っ……」
取り出した紙に書かれた文を読んだユキは、自身の唇を強く噛みしめながら、ぐしゃりと音を立ててその紙を握り締めた。
──この文章……やっぱり、デモーニオンの仕業か……ッ!
順当に考えれば、この手紙を寄越したのは恐らくスコルピオーネだろう。
しかし……──奴の目的は、一体何だ?
少なくとも、金銭目的で無いことは確実。
ウォーリアーズの敗北が目的だと仮定した時、後方支援を主な役割としている非戦闘員の自分を呼び出して倒したところで、それが目的の達成に直接繋がるとは思えない。
確かに、自分がいなくなることで家事や諸々の雑務を行う人間がいなくなり、回り回ってウォーリアーズが機能しなくなることはあるかもしれない。
だが、それはあくまでも可能性の話であり、確実では無い。
何より、サクラを人質に取ってまで、そんなまどろっこしいマネをするだろうか。
もしサクラを人質にしてウォーリアーズを陥れるのが目的なのであれば、非戦闘員の自分では無く、他の戦隊メンバーの誰か一人を呼び出す方が堅実だ。
必ず裏がある。
しかし、ようやくサクラの行方を知る手掛かりが見つかった。
ここはヒロ達に相談して、慎重に動くべきだ。
年齢の割に優秀だと言われているユキの頭脳は、すぐさま一つの結論を導き出す。
『このことを他のメンバーに洩らした場合は、
ピンクウォーリアーの命は無い。』
そんな彼女の眼球が、手紙の最後の一文を凝視する。
──……今は、感情的に動くべきじゃ無い。
──奴等は絶対に何か企んでいる。今後の動向については、皆で話し合って慎重に考えるべきだ。
──……でも……。
『ピンクウォーリアーの命は無い。』
「……」
ユキは影のある表情のまま、握り過ぎて紙の半分以上がしわくちゃになった手紙の、最後の一文を読み返す。
その瞳には、静かな決意の炎が揺れていた。
---
「……ここ、だよね……」
午後十一時五十五分。
もうすぐ日付が変わり、新たな一日を迎えようとする夜闇の中で一つの廃ビルの前に立ったユキは、そう呟きながら目の前の建物を見上げた。
手紙には『街外れにある廃ビル』としか書いていなかったが、ユキ達が住む地域でこの文章に該当する場所は、今彼女の目の前にある閉鎖されて日の浅い廃墟ビルしか無かった。
だからこそ、手紙の差出人も文章でこれだけの情報しか書かなかったのだろう。
握り過ぎてヨレヨレになった手紙と建物を何度も交互に見たユキは、一度大きく深呼吸をすると表情を引き締め、意を決した様子で廃ビルへと足を踏み入れた。
コンクリート製の階段を上り、四階建ての廃ビルを一階から順に捜索していく。
閉鎖されてからまだ日の浅いこのビルは、家具は多少散乱しているもののまだそこまで荒れておらず、一つのフロアを回るのに時間は掛からなかった。
下のフロアから順に探索していったユキは、やがて最上階である四階に辿り着くと、古びた鉄の扉を前に立ち止まった。
──きっと、ここに……サクラさんが……。
逸る気持ちを抑えるように、彼女は一度大きく深呼吸をすると、緊張した面持ちでドアノブを握り締めた。
それから一瞬の間を置いた後、ゆっくりとドアノブを回し、ギィ……と音を立てて扉を開けた。
「……時間通り、ね」
くすんだ窓ガラスから差し込む月光に淡く照らされた室内で、壁際に置かれた古いソファに腰掛ける影が一つ。
黒光りする固い甲殻を持った身体と、幾つもの球体が連なった鎖のような見た目をした針付きの尻尾。
サソリのような見た目をした女怪人、スコルピオーネの姿にユキは息を呑むが……奴の足元で、両手を縛られて口には布で猿轡をされたサクラが力無く項垂れた状態で座っているのを見て、その目を大きく見開いた。
明らかに平常ではないその姿に内心で激しく動揺しながらも、彼女は何とか平静を取り繕いつつ口を開いた。
「うん。言われた通りに、一人で来たよ。だから、今すぐサクラさんを解放してッ!」
「えぇ。良いわよ」
無理だと分かっていながらもダメ元で投げかけたユキの言葉に、スコルピオーネはあっさりと了承の意を示し、床に座らせていたサクラの腕を引っ張る形で強引に立たせた。
猿轡をされたサクラはくぐもった声を漏らすが、スコルピオーネはそれを意に介さず、未だに扉の方に立ち尽くすユキの方へと突き飛ばした。
両腕を縛られたまま突き飛ばされて体勢を崩すサクラに、ユキは「サクラさんッ!」と声を上げながら駆け寄り、転倒しそうになった彼女の体を抱き留める。
何とかサクラをその場に立たせると、彼女の口に噛ませられた布を外した。
「サクラさん、大丈夫? 怪我は無い?」
華奢で小柄なユキは、自分より背が高いサクラの顔を覗き込むようにして問い掛ける。
彼女の言葉に、猿轡を外されたサクラは浅い呼吸を何度か繰り返し、覇気の無い表情でユキの顔を見た。
「……ユキ、ちゃん……? どうして、ここに……」
「説明は後。とりあえずこの拘束を外すから、ジッとしていてね」
掠れた声で聞き返すサクラに、ユキは静かな声でそう答えながら彼女の両手を縛っている紐を解く。
現状、スコルピオーネがサクラを攫いユキを呼び出した理由も、呆気なくサクラを返してきた理由も分からない。
しかし、ひとまずサクラの安否は確認し、罠の可能性があるとは言え保護することも出来た。
目立った怪我も無さそうだし、今はとにかく早急にこの場を離れて体勢を整えるべきだ。
「よし……! それじゃあ、今すぐこの場を離れて屋敷に戻ろう? 義兄さん達も心配してるよ」
サクラの両手を縛っていた紐を解いたユキは、そう声を掛けながら彼女の手を取る。
その言葉に、サクラは柔和な笑みを浮かべて自分より小さな手を握り返し──
「……ごめんね、ユキちゃん」
「えっ?」
──握った手を引っ張る形でユキの体を引き寄せ、その勢いを利用して床に組み伏せた。
背中の後ろで両腕を組んだ状態で拘束され、僅かに埃を被ったコンクリートの固い肌触りを頬に感じるユキは、愕然としたような表情で硬直していた。
──……今……何が、起こったの……?
──どうして、サクラさんが……?
「作戦通り。よくやったわね、サクラ。偉いじゃない」
「私には勿体ないお言葉です、ご主人様」
現状を理解出来ず混乱するユキに対し、スコルピオーネはサクラに称賛の言葉を投げ掛け、サクラは抑揚の無い声でそれに応える。
二人のやり取りを聞いて、サクラに拘束されているという状況をようやく理解出来たユキは、すぐにその場で藻掻きながら口を開いた。
「さ、サクラさんッ! こんな時に何やってッ……は、離して……ッ!」
何とかサクラの拘束から抜け出そうと藻掻くが、非戦闘員で頭脳労働を得意とするユキと、戦王の力を受け継ぎウォーリアーズとして戦うサクラではその力の差は一目瞭然で、無駄な抵抗だと言わざるを得なかった。
その様子を見たスコルピオーネは馬鹿にするように笑い、すぐに口を開いた。
「そんなこと言っても無駄無駄。今のこの子には、貴方の声なんて届きやしないわよ」
「なッ、何言って……ッ!」
「サクラ。この紐でその子の腕を縛って、その辺に座らせておきなさい」
「かしこまりました、ご主人様」
嘲るような言葉に思わず反論するユキだったが、スコルピオーネは彼女の言葉を無視して床に転がっていた紐を拾い、サクラに手渡した。
サクラは静かな声で答えながら受け取ると、床に組み伏せたままのユキの両腕を素早く縛って拘束し、その場に座らせた。
最初は必死に呼び掛けていたユキだったが、淡々と作業を行うサクラの姿を見て無駄だと察したのか、悔し気に唇を噛みしめながら身を委ねた。
「ご苦労様。もう下がって良いわよ」
「はい、ご主人様」
静かな声で続けるスコルピオーネの言葉に、サクラは恭しく頭を下げてそう答えると、奴の後方に下がって気を付けの姿勢を取った。
全ての感情が失せたかのような表情と抑揚の無い声で、敵組織の幹部であるスコルピオーネの命令に淡々と従うその姿は、普段の明るく爛漫な姿からは想像も出来ないものだった。
そして一連のやり取りから、この状況を生み出した元凶がスコルピオーネであることは言うまでもない。
ガリッと音を立ててユキの唇から一筋の赤い雫が伝うが、彼女はそれを気にも留めず、目の前に立つ女怪人を睨んで口を開いた。
「……貴様ッ……サクラさんに、何をしたッ!」
「あらあら、そんな怖い顔して……美人が台無しよ?」
「とぼけるなッ!」
唾液と血液が混じった赤い雫を飛ばしながら吠えるように言うユキの言葉に、スコルピオーネは呆れたように肩を竦めると、自身の尻尾をよく見えるように動かした。
「ねぇ、覚えてる? 昨日のウォーリアーズとの戦闘で、私がこの子に毒を注入したこと」
奴はそう言いながら、侍るように傍にいたサクラの肩を優しく抱いた。
突然体に触れられたサクラは、一瞬ピクッと微かに肩を震わせたが、すぐに無表情のままスコルピオーネの手に身を委ねる。
ユキはそれを見て咄嗟に「サクラさんに触るなッ!」と吠えるが、スコルピオーネはそれを気にすることなく続けた。
「私は自分の体内で色々な毒を生成して、尻尾の針で対象の体に注入することが出来るの。昨日この子に注入した毒の効果は、対象の思考や感情を奪って操るという物だったわ」
「ッ……じゃあ、その毒の効果でサクラさんをここまで呼び出して、召使みたいに操ってるってこと……?」
「うーん……まぁ、大体そんな所ね」
込み上げる怒りを押し殺しながら問い掛けるユキの言葉に、スコルピオーネは何でも無いことのように答えながら、黒い殻を纏った手でサクラの頭を愛でるように撫でた。
──洗脳。
奴の説明を受けて怒りに染まったユキの脳裏に、その二文字が過ぎる。
人としての尊厳を踏みにじるような非人道的な手段を用いた事実に、グツグツと燃え滾るような怒りが腹の底から込み上げる。
もし拘束されていなければ、力量差など一切無視して今すぐにでも奴を殴り飛ばしていただろう。
しかし、他でも無いサクラに両手を縛られて拘束されている為に、動くことすら出来ない。
結果として、ユキは拳を強く握りしめながら、目の前にいる女怪人を睨みつけることしか出来なかった。
「それにしても、ここまでしても誰も来ないなんて……本当に一人で来たのね」
それに対し、スコルピオーネは相変わらずサクラの肩を抱いたまま、唐突にそんなことを呟いた。
奴の言葉にユキは訝しむように眉を顰め、口を開いた。
「だって、そっちが手紙で、誰にも言わずに一人で来いって言ったんじゃない」
「それもそうだけど……その言い方、もしかしてあの手紙のこと、他の誰にも教えずにここに来たの?」
「……何が言いたいの?」
一人で来たことについてやけに言及してくるスコルピオーネに、奴の本意が読めなかったユキは、思わず冷ややかな声で聞き返した。
彼女の言葉に、スコルピオーネはクスリと小さく笑って「だって……ねぇ?」と言いながら、肩を抱いたままのサクラに視線を向けた。
「確かに、一人で来なかったらこの子の命は無いって言ったのは私だけど……あんな見るからに怪しい文章、余程の馬鹿でも無い限り、素直に従う筈無いと思わない?」
「何を……」
「でも、貴方がそうじゃないことは明白。だから……よっぽどこの子のことが大切なんだなぁ、と思って♪」
どこか楽しむような口調で言いながら、奴はサクラの頬を黒い指で撫でる。
その言葉にユキは僅かに肩を硬直させたが、すぐにソッと目を伏せながら口を開いた。
「そ、そんなの、当たり前じゃない。だって、サクラさんは……わ、私達ウォーリアーズの、かけがえのない、大切な仲間、なんだから……」
「あら? てっきり、この子のことが好きなんだと思ってたんだけど」
ドクンッ! と。
突拍子の無いその言葉に、ユキの心臓は激しい音を立てて脈を打ち、一瞬全身が硬直して動きを止める。
「な……何を、急に……訳の分からない、ことを……」
「そう? 好きな人の命が懸かっているとなれば、どんなに頭の良い人間でも理性的に動けなくなるものだし、貴方があの手紙の指示に従ったのも納得だと思ったんだけど……」
筋は通っていると思わない? と。
軽く小首を傾げながら問い掛けてくるスコルピオーネの言葉に、ユキは答えられない。
先程から激しく脈を打つ心臓の音が頭の中で響き渡り、体の芯が冷たくなっていくような感覚がする。
ツゥ……と、頬を伝った冷たい汗が鎖骨の辺りに落ちるが、今の彼女が気にすることは無い。
激しい動揺を露わにしないよう黙り込むユキに対し、スコルピオーネは「でも」と続けながら、サクラの肩を抱く力を僅かに強めた。
「貴方がこの子に恋愛感情を向けている訳じゃないのなら……私とこういうことをしていても、問題無いのよね?」
スコルピオーネはそう言いながらサクラの体を抱き寄せ、互いの唇を重ね合うように顔を近付ける。
奴の言葉に顔を上げたユキは、その様子を見て両目を大きく見開いた。
「やめろッ!」
その声は、ほぼ反射的に出たものだった。
静まり返った廃ビルの室内にその声はよく響き渡り、反響した声が僅かなエコーとなって余韻を残す。
元々あまり声を荒げる部類では無いユキは、前のめりになった姿勢のまま、荒い呼吸を繰り返している。
彼女の声に動きを止めたスコルピオーネは、サクラからゆっくりと顔を離して、ユキの方に視線を向けた。
「何だ。やっぱり貴方、サクラのことが好きなのね」
驚嘆というよりは、どちらかと言うと納得したように呟く奴の言葉に、カァッ……とユキの顔が赤く染まる。
そう。ユキは、ずっと前から……サクラのことが好きだった。
元々、ユキは内気で引っ込み思案な性格で、人とコミュニケーションを取るのがあまり得意な部類では無かった。
幼少期の頃から親しい友人もあまりおらず、義兄であるヒロとも打ち解けるのにはかなりの時間を要した。
それでも、戦王の力を受け継ぎウォーリアーズとして戦うヒロや仲間達の姿を見た時、少しでも彼等の役に立ちたいという想いから彼女は協力を申し出た。
ただでさえ人見知りな上に、知らない男性が多い不安な環境の中で彼女を支えてくれたのが、サクラだった。
男ばかりだから女の子が来てくれて嬉しいと、ウォーリアーズへの支援を申し出たユキを真っ先に歓迎し、余裕がある時はユキの行っている作業を手伝ったりもしていた。
誰とでも分け隔てなく接することの出来るサクラは、人見知りで中々上手く話せないユキのペースに合わせてコミュニケーションを取り、彼女が他のメンバーと打ち解けられるようアシストしたりもしていた。
そんな彼女の優しさに惹かれ、いつしか恋愛感情を抱くようになるのに、あまり時間は掛からなかった。
サクラがスコルピオーネの毒を受けて見守りをすることになった時は、自分なんかが良いのかと驚くのと同時に、不謹慎ながらも嬉しいと思ってしまった。
当然だ。過程はどうあれ、好きな人と寝食を共にすることになって、嬉しくない人間などいる筈が無いのだから。
だからこそ、朝起きて彼女が失踪した時には動揺し、止めることが出来なかった自分を責めた。
そして、自分の不注意のせいで大切な人が危険な目に遭っているかもしれない状況に不安感を募らせ、どうか無事であって欲しいと強く願っていた。
しかし、サクラに強く惹かれるのと同時に……同じ戦隊のメンバーである緑川シュンが、サクラに同様の感情を向けていることにも、気付いていた。
気弱で引っ込み思案でサクラに支えて貰ってばかりの自分と、高校生ながらウォーリアーズとして懸命に戦うシュン。
どちらがサクラに相応しいかなど、考えるまでも無かった。
だから、ユキは……この想いを、胸の中にしまっておくことにした。
好きな人の負担になりたくないから。
自分よりも彼女のことを幸せに出来る人がいるから。
せめて、この戦いが終わるまでは……大切な人の傍にいて、少しでも手助けになりたいから。
そのような理由から、今まで誰にも知られずにひた隠してきた感情を暴かれたユキは、狼狽しながらも咄嗟にサクラの表情を窺った。
スコルピオーネに肩を抱かれて直立している彼女は、相変わらず全ての感情が失せたかのような虚ろな表情のまま、呆然とどこか虚空を見つめている。
何かしらの反応があれば、まだ誤魔化しようもあったと言うのに……一切の反応を見せないその様子に、ユキは何と言えば良いのか分からず、震える唇をパクパクと開閉させることしか出来ない。
そんな彼女を見て、スコルピオーネは甲高い高笑いを上げた。
「安心しなさい? この子には私の命令以外は聴こえないから、貴女の感情も知らないわよ」
「ッ……」
自分の動揺を見透かされ、その上でサクラが洗脳されている事実を改めて突き付けられたことに、ユキはギリッと歯ぎしりをして目を伏せた。
彼女は静かに目を瞑って数秒程沈黙した後、ゆっくりと瞼を開き、その目をサクラの方に向けて口を開く。
「確かに、私は……サクラさんのことが、好きだよ」
「フフッ。ようやく認めたのね」
「でも……今そこにいるのは、私が好きになったサクラさんじゃない」
一切目を逸らさず、真っ直ぐサクラを見つめたまま凛とした声で言い放つユキの言葉に、スコルピオーネは僅かにその目を丸くした。
それに、ユキは拳を強く握りしめながら続けた。
「私が好きになったのは、明るくて、思いやりがあって……ちょっと抜けてるけど、いつも自分より人のことを優先する、誰よりも優しい桃井サクラだッ! 人類を滅ぼそうとする悪い奴の言いなりになって、操られるような人じゃないッ!」
「何をッ」
「お願いッ……目を覚ましてよ、サクラさんッ! そんな奴の言うことなんて聞かないでッ、元のッ……私が好きになった、優しいサクラさんに……」
戻ってよ……と。
今にも掻き消えてしまいそうな弱々しい声で言いながら、ユキは静かに俯いた。
こんなことを言っても、結局、今のサクラには届かない。
どんなに声を振り絞って思いの丈をぶつけようと、意味なんて無い。
でも……それでも、信じたかった。
誰よりも強くて優しい心を持った彼女なら、スコルピオーネの洗脳など打ち破り、目を覚ましてくれるのではないかと。
こうして呼び掛けていれば、元に戻ってくれるのではないかと。
「……また……サクラさんに、会いたいよ……」
その声は、ほとんど無意識に零れたものだった。
敵幹部に洗脳されて、命令通りに動く傀儡では無い。
優しくて頼りがいがあって、でもちょっとだけ抜けてる……この世界の誰よりも大切な、かけがえのない最愛の人に。
もう一度だけで良いから、会いたいと……心の底からの想いが、涙と共に零れ落ちる。
「……ユキ……ちゃん……?」
……声がした。
掠れて、今にも掻き消えそうな、か細い声が。
それでも確かに耳に届いたその声に、ユキはハッと顔を上げる。
涙で潤んだ瞳に映るのは……片目から一筋の雫を流しながらこちらを見つめる、最愛の人の姿だった。
「……サクラさん……?」
「ッ……ユキちゃんッ!」
思わず名前を呼ぶユキに対し、サクラは涙で上ずった声で叫びながらスコルピオーネの手を振り払い、駆け寄ってくる。
拘束されて座り込んでいるユキの前まで来ると、コンクリートの床の上に膝をついて視線を合わせる。
涙で潤んだ視線が重なると、彼女はすぐに自分の膝に手をついて頭を下げた。
「ユキちゃん、ほんっとうに……ごめんなさいッ!」
「ふぇえッ!? きッ、急に何をッ……!?」
「あっ、これは告白への返事って訳じゃなくってね!?」
突然深々と謝罪をされて思わず動揺するユキに対し、サクラはすぐに慌てた様子で補足した。
それにユキがキョトンとしたような表情を浮かべると、彼女はポリポリと自分の頬を掻きながら続けた。
「今回のこと……ユキちゃんや皆に迷惑掛けたし、こうしてユキちゃんを危険な目に遭わせちゃって……謝って済む話では無いけど、本当に……ごめんなさい」
そう言ってもう一度頭を下げるサクラの姿に、ユキは思わずポカンと口を開けた状態で固まってしまった。
自分だって、今の今まで洗脳されて操られていたばかりだと言うのに、正気を取り戻した途端に謝罪だなんて……──本当に、この人はどこまでお人好しなんだろうか。
驚きを通り越して呆れてしまいそうだったが、これこそが自分が好きになった桃井サクラの姿だと、彼女はどこか安心したように笑みを零した。
「もう……頭を上げて? サクラさん」
「で、でも……んぇッ?」
呆れたような声に言われて顔を上げたサクラに、両手を拘束されたままのユキは頭突きを喰らわせる。
否──サクラの首筋に、顔を埋めた。
「ユ……ユキちゃん……?」
「良いの……こうして、サクラさんに会うことが出来たから……」
もう、良いの……と。
心の底から安堵したような声で言うユキに、サクラはしばらく驚いたような表情を浮かべたが、やがて小さく息を吐くように笑う。
それから、自分に凭れ掛かってきているユキの体に両手を回し……自分より華奢な体を、優しく抱き締めた。
突然のことに、ユキは両目を大きく見開いて肩を強張らせたが、すぐにその目を柔らかく緩ませてサクラの抱擁に身を委ねた。
「……再会を喜んでいるところ悪いけど、私のこと忘れてない?」
すると、背後からそんな、冷ややかな声が投げかけられた。
サクラはその声にハッとした表情を浮かべてユキの体を離すと、自分の体で彼女を守るようにして声がした方に視線を向ける。
そこでは、いつの間にか人間の姿に変身したスコルピオーネが、自分の胸の前で腕を組んで二人の方を見つめていた。
「まさか、私の毒が破られるなんて……少し侮っていたかしら?」
「あれが……スコルピオーネ……?」
突然人間になったスコルピオーネに、ユキは驚いた様子で声を漏らす。
それに対し、サクラは忌々しそうに奴を睨んで軽く舌打ちをすると、すぐにユキの脇に手を添えて軽く引っ張った。
「ユキちゃん、立てる?」
「あっ、うん……!」
立つように促しながら囁くサクラの言葉に、ユキは慌てた様子で頷きながら両足に力を込める。
両手が縛られている状態で立つのは中々に難しかったが、サクラの支えもあって何とか立ち上がることに成功した。
「よし、じゃあ……私が合図をしたら、すぐに走ってここから出よう。……ちょっと、走りづらいかもしれないけど……」
「ううん、平気。……私は、サクラさんを信じるよ」
申し訳なさそうに言うサクラに、ユキは軽く首を横に振ってそう答えてみせる。
サクラはそれに、意を決したような表情で一度頷き、合図をする為に息を吸──
「『ストップ』」
──ったところで、スコルピオーネの声がした。
その声を聴いた瞬間、サクラの全身が石のように硬直し、指先一つも動かせやしなかった。
一瞬にして全身の筋肉が固まったかのような感覚に、彼女は驚愕の表情を浮かべながら「かふッ……!?」と先程吸った息を吐き出す。
「サクラさんッ!?」
「あぁ、良かった。体の支配までは解けてないみたいね」
驚いたユキが名前を呼ぶのと、スコルピオーネが静かな声で言いながらこちらに向かって歩き出したのは、ほぼ同時だった。
それに、ユキは奴からサクラを守るように間に立ち、歩み寄ってくるスコルピオーネを睨みつけた。
「もうこれ以上、サクラさんに手出しはさせない! サクラさんは、私が守る……ッ!」
「ユキちゃん!? そんなのダメ! せめて、ユキちゃんだけでも逃げて!」
両手を縛られたまま、必死に声を張り上げてスコルピオーネの前に立ちはだかるユキの言葉に、サクラは思わず声を上げる。
それに、スコルピオーネはクスクスと楽しむように笑いながら、ユキの元に近付いていく。
「あらあら、二人してお互いのことを想い合って、お熱いことで。それじゃあ、お望み通りに貴方から相手してあげるわ。ユキちゃん?」
余裕の笑みを浮かべながら、スコルピオーネはユキの前に立ちはだかる。
それに、ユキは僅かに怖気づくような表情を浮かべながらも足を強く踏ん張り、目の前に立つスコルピオーネを睨み返す。
するとスコルピオーネはクスリと冷たい笑みを浮かべ、彼女の背後に立つサクラに視線を向けた。
「でも、万が一逃げられたらマズいし……サクラ。『この子が逃げないように、羽交い絞めにでもして捕まえておきなさい』」
「何をッ……あ、嫌……体が、勝手に……!?」
静かな声で紡がれた命令に、サクラは必死に反論しようとするも、その体は持ち主の意思に反して勝手に動き出す。
先程までピクリとも動かなかった体がゆっくりと動き、両手を縛られているユキの両脇に腕を通し、逃げられないようガッチリと強く拘束する。
せめて彼女だけでも逃げて欲しいと願っていたサクラは、自らの手でその可能性を潰している事実に、罪悪感と無力感から「ごめん……ごめんね、ユキちゃん……」と謝罪の言葉を繰り返す。
耳元から聴こえる弱々しいその声に、ユキは眉間に皺を寄せて苛立ちを露わにしながら、目の前に立つ女を睨みつける。
「こんなことしなくても……私は、サクラさんがここにいる限り、逃げ出したりなんてしないよ」
「敵である貴方の言葉なんて、信用出来るわけ無いでしょう? ……あぁ、サクラはご苦労様。それじゃあ、『私が良いって言うまで、そのまま静かにしていてね』」
「なッ……んぐッ!?」
スコルピオーネに命令された瞬間、サクラの唇は一文字に結ばれた状態で固く閉ざされ、どれだけ声を上げようとしてもくぐもった声を発することしか出来ない。
それにユキは強く歯ぎしりをして顔を顰めるが、スコルピオーネはそれらを特に気にすることなく続けた。
「さて、それじゃあユキちゃんには、まず……私の能力の紹介でもしましょうか」
「能力……って、体内で毒を生成して、尻尾の針から注射することが出来るって、さっき自分で説明したじゃない」
「えぇ。でも、それは怪人の姿をしてる時の話ね」
悠然とした態度で言うスコルピオーネの言葉に、ユキはピクリと眉を顰めて「何……?」と小さく呟いた。
すると奴はクスッと小さく笑みを浮かべると、右手を自身の顎に当て、その手から紫色の液体を滲出させる。
それを見てユキが目を見開くと、奴は笑みを崩さぬまま続けた。
「今みたいな人間の姿をしている時は、毒を体液に混入させて排出することが出来るのよ。例えばこんな風に汗と混ぜて、皮膚から出すことも出来るってわけ」
「じゃあ、何? 私にその手を舐めて、自分から毒を摂取しろとでも言うつもり?」
「それも考えたけど……誰かさんみたいにどこかで目を覚まさないように、徹底的に躾けてあげようと思ってね」
スコルピオーネはそう言いながら、ユキを拘束しているサクラにゆらりと視線を向ける。
必死にユキの拘束を解こうと藻掻いていたサクラは、それを見て僅かに眉を顰めた。
それに、スコルピオーネはクスリと小さく笑みを浮かべると、拘束されているユキの顎に指を添えてクイッと軽く上げさせた。
「ッ……?」
「人間が排出する体液は、汗だけじゃないわよね?」
怪しい微笑を浮かべて言葉を紡ぐ奴の唇からは何やら甘い香りが漂い、唇の隙間からは桃色に濁った唾液が見え隠れする。
ユキはそれを見て即座に奴の思惑を悟り、サァッと血の気が引くのを感じた。
「んんんッ!? んん~ッ! ん~ッ!」
彼女を拘束しているサクラも同様に奴の思惑を察したのか、口を固く閉ざしたままくぐもった声を発して反抗する。
ユキも奴から距離を取る為に後ずさろうとするが、非力な彼女の力ではサクラの拘束を解くことは出来ず、靴底でコンクリートの床を擦るだけだった。
それでも必死に首を横に振って反抗するが、スコルピオーネはそんなユキの頬を両手で挟むようにして自分の方に顔を向けさせ、冷たい微笑を浮かべた。
「嫌ッ、待って! もう、毒は飲ませて良いからッ! お願いだから、それだけはッ……!」
「んんんんッ! んん~~~ッ!」
「ダメよ。だって、途中で目を覚まされたりしたら面倒だもの。貴方もサクラも、一生私の元を離れることが無いよう、徹底的に……壊してあげる♪」
スコルピオーネはそう言うと、ゆっくりと自分の顔をユキに近付けて──「ダメッ、私はッ……んむぅッ!?」──唇を奪う。
突然の接吻にユキは目を見開き、咄嗟に足を使って奴の体を突き返そうとする。
しかし、体勢を整えることもままならない状態で怪人であるスコルピオーネの体を押し返すことなど出来る筈も無く、愛するサクラの腕の中で強引なキスを受け入れることしか出来ない。
それでも必死に抵抗しようとする健気なその姿に、スコルピオーネはどこか楽しむようにその目を細めると、自身の舌を彼女の口の中へと侵入させた。
「んんむぅッ!? んんんぅぅぅぅぅッ!」
突然口内に何かが入ってきた異物感と、毒が混ざった唾液を纏った舌による噎せ返りそうな程の甘味に、ユキは思わずくぐもった声を漏らしながらその身を強張らせる。
何とか逃れようと必死に抵抗するが、両手を縛られてサクラに羽交い絞めにされている状態ではその場を離れることも出来ず、スコルピオーネの両手で顔を固定されている為に顔を背けることも出来ない。
そうして藻掻いている間にスコルピオーネはユキの舌を見つけ出し、まるで意思を持った生き物のように逃げ惑うソレを吸い取ると、自身の舌で絡め取り捕縛する。
唇を重ねて舌を挿入されるだけで胸焼けがしそうな程の甘ったるい媚毒が、人間の味覚を受容すると言われる味蕾の大部分が存在する舌に直接擦り込まれれば、それはもう──
「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ッ!?」
──甘味を通り越し、直接脳を犯す劇物と成り果てる。
ユキの優秀な頭脳は、口内に広がる膨大な甘味をどうにか処理しようとフル回転するが、スコルピオーネの舌がそれを許さない。
味覚の処理が完了する前に舌を吸って絡め取り、呼吸すらも支配して、彼女が思考を整理する余地までも奪っていく。
舌が絡み合う度に、舌だけでなく思考や記憶、今までの人生で培ってきた価値観や人格までもが絡め取られていく。
幼い頃から内気な性格で友人も中々作れず、そんな自分を変えたいと思っていた過去も。
人々の為に悪と戦う義兄や仲間達の姿に心を打たれ、少しでも力になりたいと立ち上がる為に振り絞った勇気も。
不安な環境の中で優しく手を差し伸べ、傍で支えてくれたサクラに抱いた恋慕の感情も。
全てが綯い交ぜになって、甘ったるい毒に溶かされて消えていく。
甘い毒はユキの全てを溶かした後、まるでグチャグチャに掻き混ぜられて真っ白になった脳内を塗り潰すかのように侵蝕し、新たな価値観を刷り込んでいく。
スコルピオーネを主とし、彼女の為に身も心も捧げ、絶対服従の傀儡となる為に生まれてきたのだと。
主の手足となり役に立つことが、主の道具として生まれてきた自分の生きがいであり至上の幸福だと。
主の幸福の為ならば、それ以外の生き物は全てどうなっても構わないと。
歪んだ忠誠心を新たな心として植え付けられた彼女は、まるで今まで培ってきた人生の全てを不要物として排出するかのように、幼少期以来のお漏らしを披露する。
敵対組織の女幹部と最愛の人の前で失禁しているという恥辱的な状況だが、今のユキがそれを気にする余裕など無く、口内を貪られながらビクビクと体を痙攣させるだけだった。
その様子からもユキが完全に堕ちたことは明白だったが、スコルピオーネは念には念をと言うかのように彼女の顔を持ち上げ、口の中に唾液と混ざった毒を流し込む。
重力に従って流れて込んでくる主からの甘露に、ユキは惚けたように虚空を見つめながらも、コクコクと喉を鳴らしてそれを嚥下する。
「んんんッ……んんッ……」
腕の中でグッタリと脱力しながら体を痙攣させ、尿を漏らして足元に琥珀色の水溜まりを作る愛する人の変わり果てた姿に、サクラはその目に涙を浮かべながらくぐもった声を漏らす。
一度スコルピオーネの毒を喰らいその威力を知っている彼女は、今のユキが感じているであろう甘味と快楽を知っていた。
否。あの劇物をただ舐め取っただけですら筆舌にしがたい程に強烈な甘味を感じたのに、濃厚な深い接吻によってそれを大きく上回る程の壮絶な物を、その小さな体一つで受け止めているのだ。
自分の腕の中で最愛の人の身に起こっている事象を想像し、その状況を他でも無い自分自身が手助けしているという状況に、サクラは強く歯ぎしりをしながら涙を零す。
「ぷはぁッ……さて、大体こんなものかしら?」
どれくらいの時間、接吻を交わしていた頃だろうか。
ようやく唇を離したスコルピオーネは、二人を繋ぐように出来た桃色の糸が重力によってぷつんと切れてユキの顔に垂れるのを見つめながら、そんな風に呟く。
その言葉に、ユキは答えない。……答えられない。
虚空を見つめたまま荒い呼吸を繰り返し、両足はガクガクと生まれたての小鹿のように激しく震え、背後から拘束しているサクラの腕が無ければその場に崩れ落ちてしまいそうだった。
それに対し、サクラは口を閉ざしたまま、啜り泣きながら自分の腕の中にいるユキを見つめる。
スコルピオーネはそれを見て「あぁ」と何かを思い出したように声を漏らし、すぐに小さく笑みを浮かべて続けた。
「サクラ、もうユキの拘束は解いて良いわ。あと、もう自由に喋っても大丈夫よ」
「ぷはッ……! ユキちゃん……! ユキちゃん、私の声が聴こえる……!?」
ようやく体の自由を取り戻したサクラは、今にも腰を抜かしそうなユキの体を両手で必死に支えながら、涙で上ずった声で問い掛ける。
しかし、彼女の問いにユキは答えない。
濃厚な接吻によって足りなくなった酸素を取り込むかのように荒い呼吸を繰り返し、半開きになった口の端からは涎を垂らして、脱力しきったその体は未だにビクビクと微かな痙攣を繰り返している。
頬は紅潮し、意思の光を失い暗く濁ったその瞳は焦点が合わず、どこか虚空を見つめていた。
明らかに尋常では無いその姿に、サクラはユキの状況を十分に理解出来ていたが、それでもまだ諦めてはいなかった。
体の自由は取り戻せた。
ユキはスコルピオーネに堕とされてしまったが、彼女と自分の体格差と運動神経を考慮すれば、彼女の体を抱えてこの場から脱出するのは不可能では無い。
サクラ自身の身体もスコルピオーネの毒に侵されており、正直この作戦の成功率は決して高くは無いが……それでも、危険な目に遭うことも厭わずに助けようとしてくれたユキの為に、今度は自分が戦わなければならないと思ったのだ。
彼女は意を決してその表情を引き締めると、脱力したユキの体に腕を回し──
「ユキ。両手の紐を解いてあげるから、こっちに来なさい?」
──たところで、スコルピオーネの命令が下る。
その声を聴いた瞬間、ユキの体がピクリと僅かに震えたかと思えば「はい、ご主人様」と言ってサクラの腕を振り払い、主の元へと駆け寄る。
洗脳の影響とはいえ愛する人に拒絶された事実に、サクラは少なからずショックを受け、自分の手を見つめたまま硬直する。
スコルピオーネは、自分の元に駆け寄ってきたユキの両手を拘束する紐を解くと、ニコリと冷たい笑みを浮かべた。
「それじゃあ、ユキ。貴方が何者なのか、私に教えてくれる?」
「はい。私、赤城ユキは、主であるスコルピオーネ様に身も心も捧げ、スコルピオーネ様の命令には絶対服従の傀儡です。貴方様の手足となりお役に立つことだけが、道具である私の生きがいであり幸福です。どのような命令でも必ず遂行してみせますので、何なりとご命令ください」
抑揚の無い、微かに震えた声で淡々と語るユキの言葉に、サクラは愕然とした表情を浮かべた。
洗脳されているだけだと分かっていても、先程手を振り解かれたショックも相まり、それは彼女の心の傷をジワジワと広げていく。
それに対し、満足気な笑顔で頷いたスコルピオーネはサクラに視線を向けて、続けた。
「それじゃあ、サクラ。そこで正座して、顔を上げて口を開けなさい」
「……ぅぁ……」
静かな声で告げられた命令に、サクラは掠れた声を漏らしながらその場に膝をつき、顔を上げた状態で口を開いた。
心が折れかけている今の彼女に抵抗の意思は無く、命令されて体が勝手に動いているのか、自分の意思で動いているのかすらあやふやになっていた。
そんなサクラを見てスコルピオーネは小さく笑うと、ユキを率いて彼女の元へと歩み寄った。
「さっきはこの子を堕とす時に手伝って貰ったし……お礼に、ご褒美を上げるわ」
「……?」
ご褒美? と内心で訝しむサクラの疑問に応えるように、奴はユキの体を抱き寄せて顎に手を添え、顔を上げさせると──「んッ……」「んむッ♡」──もう一度、唇を重ねる。
今度は舌を絡めず、ただ唇を重ねるだけの簡単なキス。
しかし、僅かに開いた唇から唾液が流れ込み、ユキの口内へと溜まっていく。
「ぷはッ……ユキ。さっき私がしたみたいに、この毒をあの子に飲ませてあげて?」
「……♡」
冷たい笑みを浮かべながら、スコルピオーネは白魚のような指でユキの顎を軽く撫でて言う。
ユキはそれに、うっとりと惚けたような表情を浮かべながらも、口の中にある唾液を零さないよう唇を固く結んで小さく頷いた。
彼女は座り込んだサクラに視線を向けると、フラフラとどこか覚束ない足取りでゆっくりと歩み寄る。
「ぁ……ぅぃぁ……ぁぇ……」
それに対し、サクラは口を大きく開けた状態のまま、必死に抵抗の言葉を紡ぐ。
……ユキがウォーリアーズへの協力を申し出た時から、彼女のことを守りたいと思っていた。
細く華奢な体を震わせ、戦う力は無くても皆の手助けをしたいと勇気を振り絞って言う姿を見て、彼女を支えたいと思った。
人との交流があまり得意では無い様子のユキを見て、唯一の同性である自分が助けなければならないと積極的にコミュニケーションを取り、他のメンバーと打ち解けられるよう手回しをしたりもした。
元々、人とのコミュニケーションは得意で、誰とでも分け隔てなく仲良く出来る性格だった。
自分のことよりも周りの人のことが大切で、周囲からはお人好しだと言われることも少なくなかったが……ユキへの感情がその域を超えていることには、薄々気付いていた。
非力でか弱いながらも、自分に出来ることを一生懸命頑張る彼女の姿に惹かれていると自覚したのは……スコルピオーネの毒を受け、手当して貰っている時だった。
医療の知識も実戦経験も無いと言うのに、それでもサクラの苦痛を取り除こうと小さな体で尽力するその姿を見て、彼女への恋心を自覚した。
目の前に、ユキが立つ。
こちらを見下ろす暗く淀んだ瞳を見て、サクラは一筋の涙を流す。
──ずっと、貴女を……貴女の笑顔を、守りたいと思っていた。
──それなのに、傷付けてしまった……そんな私を、貴女は好きだと言ってくれた。
──だから、今度こそは守りたいと思っていたのに、また傷付けて……。
──こんな私でも……まだ、好きだって、言ってくれますか……?
まるで縋るような、弱々しいサクラの気持ちに応えるように、ユキは小さく笑みを浮かべる。
彼女はサクラの頬に手を添えると、ゆっくりと顔を近付けて……唇を重ねた。
二人の少女の拙い恋心は、今宵、歪んだ形で結ばれる。
甘い……──甘美な媚毒に侵されて。
***
「さて……それじゃあ、二人共。改めて、自分が何者なのか教えてくれるかしら?」
古びたソファに腰を下ろし、ゆっくりと足を組んだスコルピオーネの言葉に、サクラとユキは「「はい」」と返事をして敬礼する。
「私、桃井サクラは、主であるスコルピオーネ様及びデモーニオンに身も心も捧げる傀儡です。ディアボロス様の復活の為、精一杯尽力させて頂きます。何なりとご命令ください」
「私、赤城ユキは、主であるスコルピオーネ様及びデモーニオンに身も心も捧げる傀儡です。ディアボロス様の復活の為、精一杯尽力させて頂きます。何なりとご命令ください」
淡々とした口調で語る二人の言葉に、スコルピオーネは愉悦の笑みを浮かべた。
散々苦戦を強いられていたウォーリアーズの一員であるサクラを手中に収め、彼女の情報から、後方支援を担いウォーリアーズのオペレーター的な役割を担っているユキも懐柔することが出来た。
万が一にも二人の洗脳が解けないよう、十分に調教を行った後は……デモーニオンの間者として、ウォーリアーズの元に返す。
後は二人に暗躍して貰い、内部から崩して貰えば良いだけの話だ。
「フフッ、よく言えました。……今後の活躍、期待しているわよ」
笑みを崩さぬまま言ったスコルピオーネの言葉に、二人は敬礼の姿勢を崩さないまま、甲高い嬌声を上げて絶頂する。
今まで散々苦渋を飲まされてきたウォーリアーズを打ち破り、悪鬼ディアボロスを復活させてこの世界を滅ぼすという悲願の達成は近い。
人気の無い廃ビルに、スコルピオーネの高笑いの声だけが響き渡るのだった。