【先行公開】意志の狐火はつままれて 前編
🕑 Added 2023-05-07 13:00:00 +0000 UTC
今は昔、この日本という国の辺境にて、人知れず存在する小さな農村があった。
その村では農耕の神である稲荷神を信仰しており、村人たちの生活を支える農作物の実りへの感謝と、未来永劫続く豊作への祈りを奉納品と共に毎日欠かさず捧げ続けてきた。
稲荷神はそんな信仰心の厚い村人達に感心し、日々の奉納品や礼拝への感謝と今後の村の発展への激励を込めて、自身の力の一部を村人達に分け与えた。
すると村人達の体には力が満ち溢れ、どんな重労働にも耐えうる無尽蔵の体力と強靭な肉体、気候の変動や環境の変化を瞬時に察知して対応できる優れた感覚機能を手に入れた。
しかし、稲荷神の力の一部を授かった影響は彼等の内面に留まらず、その姿にさえも変化を及ぼした。
村人達の体表は黄褐色の体毛に覆われ、頭の横にある人の耳は体毛よりも濃い焦げ茶色の毛に覆われた大きな三角の耳となって頭頂近くへと移動し、尾てい骨の辺りからは毛先の白いフサフサとした長毛に覆われた太い尻尾が生える。
その姿は、まるで狐を模した稲荷神の生き写しとも言えるものだった。
村人達は最初こそ突然の変化に動揺したが、同時に手に入れた優れた身体能力のこともあり、次第にその姿を稲荷神に愛された証として受け入れるようになった。
そして彼等は自分達のことを稲荷神に愛された特別な種族である『狐人族』と名乗り、今でも日本のどこかにある小さな農村にて、人知れず生き続けているのだとか──。
「……では合計で、1100円になります。ポイントカードはお持ちですか?」
「持ってないです。えっと……キャッシュレスで」
女性店員の問いに、レジ横に置いてある可能な決済方法が書かれた紙を確認した琥珀色のショートヘアをした少女──根田ソラは、そう答えながらキャッシュレス決済アプリのバーコードが表示されたスマートフォンの画面を店員に見せる。
すると女性店員は「かしこまりました」とバーコードリーダーで画面のバーコードを読み取り、支払いの手続き操作を済ませて印刷されたレシートを取って一冊の本と共にソラに差し出した。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
「……どうも」
ソラは端的に答えると、親指と本でレシートを挟むようにして片手で商品を受け取り、肩に掛けた鞄に仕舞いながらショッピングモールの一角にある本屋を後にした。
すると、少し離れた所にあるゲームセンターから聴こえるけたたましい機械音や人々の喧騒が鼓膜を劈き、彼女は思わず片手で耳を押さえて顔を顰めながら逆方向へと歩みを進めた。
『狐人族』の末裔であり優れた聴力を有する彼女にとって、常に喧しい雑音で溢れ返っているゲームセンターの存在は離れた場所にいても中々に不快で耐え難い物であった。
──いつもだったら、音楽でも聴いて誤魔化してるんだけど……。
ソラは家に置いてきたワイヤレスイヤホンのことを思い出し、藍色の目を伏せて小さく溜息をついた。
元々は狐をベースとした獣人のような姿をしていた狐人族であったが、長い時を経ることで次第にその血は薄れていき、今では人間との違いは狐の耳と尻尾を有していることと髪などの体毛の色素が人より薄いことくらいなものだ。
体毛に関しては生まれつきの体質などでそうなっている人もいるため特に気にされることは無く、耳と尻尾については体を普通の人間と同じように変化させることで隠せる為、今ではこうして他の人間に紛れて生活することが出来るようになっていた。
身体能力や感覚などについても稲荷神から力を分け与えられてすぐの頃に比べると大分衰えてはいるが、それでも普通の人間達と比べると優れていることに変わりは無く、こうして人が多い場所や大きい雑音のする場所に行くと敏感に反応してしまい不快な気分になる。
ソラは高校を卒業すると同時に狐人族の村を発ち、大学に通いつつ一人暮らしを始めてもうじき二年になるが、こういう人が多い場所の喧騒には未だに慣れそうになかった。
──住みやすい街だし、大学卒業してもここで暮らす予定だから、早く慣れないといけないんだけどな……。
ソラは自分の耳の後ろをポリポリと掻きつつ、森の奥にある穏やかな故郷を懐かしみ、心の中でそう呟く。
辺境にある小さな農村だからと言って、決して狐人族の村の文明が極端に遅れているという訳では無いのだが、それでも色々と不便なことが多いのは事実だ。
一度町での便利な暮らしを知ってしまうと中々あの場所に戻ることは出来ないと思っていたが、それでも狐人族としての体質を考えると、結局あの村での暮らしが一番合っているのかもしれない。
──……おっ。
一度村を出てもなぜか戻って来る大人が多いのは、コレが理由なんだろうか……なんて考えつつ顔を上げた時、不意に見つけたとある物を見て、ソラは心の中で小さく呟いた。
そこにはビニール袋に入った多数のぬいぐるみが並ぶ中にある、一つの狐のぬいぐるみだった。
──こういう狐のグッズとか見ると、なぜかつい目がいっちゃうんだよなぁ……。
ソラは内心そんな風に呟きながら自嘲気味に笑うと、狐のぬいぐるみが並んでいる棚の元に向かいつつ、ここは一体何のコーナーなんだろうかと辺りを軽く見渡した。
すると、どうやらここはインテリアコーナーの一角にある寝具売り場のようで、クッションや枕が並んでいる棚に隣接しているコーナーのようだった。
ぬいぐるみって寝具なの……? と思わず疑問に思ったが、すぐ近くには抱き枕などが並んでおり、ぬいぐるみの中にも筒状の抱き枕のようなデザインの物もある。
──なるほど、抱き枕の一種か。でも、コレとかほとんどぬいぐるみだよね?
ソラは内心そんな風に考えながらビニール袋に包まれた狐のぬいぐるみを両手に持ち、訝しむように眉を潜めて首を傾げる。
──まぁ……どうでもいいか。
彼女は心の中でそう呟くと小さく息をつき、ぬいぐるみを元あった場所に戻す。
──……そういえば、丁度枕カバーが古くなってきてて、新しくしたいと思ってたんだよね。折角だし、ちょっと見ていこうかな。
そんな風に考えながら軽く後ずさりをした時、背後にいた誰かに背中でぶつかってしまう。
「うわッ、ごめんなさいッ!」
彼女は慌てて振り返ると、すぐにそんな風に謝罪をしながら頭を下げた。
狐人族としての優れた感覚のおかげで、普段は近くにいる人の気配には敏感な方なのだが、今みたいに何かに夢中になっていると気付かないということはたまにある。
だとしても、たまたま見つけた狐のぬいぐるみに夢中になって周りが見えていなかったという幼稚な理由で人に迷惑を掛けてしまった事実に、彼女は気恥ずかしさと罪悪感に蝕まれながら顔を上げた。
「そんな、頭下げなくても……私の方こそすみません、ちゃんと周り見てなくて……」
軽く頭を下げながらそう答えたのは、黒髪を少しボサッとした印象のショートヘアにした女性だった。
高身長に痩せ型の体に対してオーバーサイズな黒いTシャツにジーパンとシンプルな服装をしており、目元まで掛かる長い前髪の奥に見える顔は化粧っ気が無く中性的な顔立ちで、背が低く華奢なソラの視点からだと声を聴かなければ一瞬男性かと思ってしまうような容姿をしていた。
片手にスマートフォンを持っており、歩きスマホか? と疑問に思ったところでソラはハッとした表情で軽く首を横に振り、すぐに軽く手を振りながら「いえ、気にしないで下さい」と答えた。
「私がボーッとしてたのが悪いので、本当にすみませんでした。では、これで」
「あっ……じゃあ、これ見てくれませんか?」
「はい?」
そろそろこの場を離れようとしたところで呼び止められ、突然のことに驚いて聞き返しながらも振り向いたソラは、目の前に差し出されたスマホの画面を見たことでピタリとその動きを止めた。
するとそこにはグルグルと渦を巻く桃色の螺旋が表示されており、スピーカーからはキィィィン……と、耳鳴りのような無機質で甲高い機械音が響き渡る。
それはかなり周波数が高い音で、正直、狐人族として優れた聴力を持っている自分でなければ聴こえないのではないかと思う程だった。
決して心地良い物では無い、むしろ不快に思うくらいの無機質な音だと言うのに……その音はまるで頭の中に直接響いてくるかのような感覚がして、思わず聞き入ってしまう。
そして、視界いっぱいに広がる桃色の螺旋は内側に向かってグルグルと渦を巻き、まるで自分の意識が吸い込まれていくかのような錯覚を覚える。
頭に響く甲高い機械音が思考を霧散させ、視界に広がる螺旋によって意識が吸い込まれていき、頭の中が漂白されていくような感覚がした。
全身からも力が抜けていって、段々、頭が回らなく……──。
「うわッ、えッ!? 何!?」
「……?」
突然目の前の女性が驚愕の声を上げたことで、沈みかけていた意識がゆっくりと浮上していくのを感じる。
一体何が……? と疑問に思っていた時、ズボンの臀部の辺りで何かがつっかえているような感覚と、頭頂部の辺りに若干の重みを感じる。
──これは、尻尾と……耳……? 変身してた筈なのに、一体どうし……──ッ!?
「ッ……! 見ないでッ!」
ハッと我に返ったソラは、慌てた様子で狐耳や尻尾を手で押さえながら声を上げる。
村の掟として、狐人族の存在のことは外部の人間には知られてはいけない決まりになっている。
優れた身体能力を持った狐の種族がいるなどと外部に知られれば、マスコミの餌食となって世間の晒し物にされ、様々な研究や実験に使われたり優秀な労働力や見世物として奴隷のように働かされるのが目に見えているからだ。
狐人族の中には親しい友人や恋人に隠し事はしたくないからと正体を話す者も少なくは無いが、それでも本当に信頼に足る人間であると確証を得てから話すよう、幼少の頃から厳重な注意を受けて育つ。
今出会ったばかりの名前も知らない相手にその姿を見せるなというのは、年端もいかない幼子でも知っている最低限の常識なのだ。
「お前ッ……! 私に何を──ッ」
「やばッ」
ソラは片手で頭部の耳を押さえたまま、声を荒げながら目の前の女に掴みかかろうと手を伸ばす。
しかし、女が慌てた様子で再度掲げたスマホの画面とスピーカーから聴こえる機械音によってまたもや彼女の意識は混濁し、その目を虚ろに濁らせながらダランと両手を垂らして脱力しながらその動きを停止させた。
「……これ……マジで、本物なんだ……」
その様子を見た、スマホを見せた女……──入月アマネはそんな風に呟きながら、スマホを操作して催眠アプリを終了する。
彼女は昔から催眠や洗脳などのシチュエーションを好み、そう言った内容の作品を嗜む中で催眠アプリという道具についても認知していた。
スマホの画面を見せるだけで簡単に催眠術を掛けられるという便利な道具だが、勿論そんな物が実在するなどとは微塵も考えたことは無かったし、仮に本当に手に入ったとしても人に使うことは無いだろうと思っていた。
……が、そう言った性癖に理解のある大学の知人がある日突然催眠アプリなどというものを発明し、無断でアマネのスマホにインストールしたのだ。
その上試作品だから被験者が欲しい、誰でも良いから試してきてくれなどと頼まれ、自身の趣味嗜好とそれなりに親しい知人からの頼みだったこともあり渋々了承したのだった。
とは言え、通りすがりの女性に突然スマホの画面を見せるのは難しいし、友人にこんなことをするのも気が進まないし、そもそもこんなことに付き合ってくれる友人なんてほとんどいないし、そもそもこのアプリが本当に効果がある物なのかも分からないし……と。
アプリを貰ってからずっと頭を悩ませており、ひとまず人の多いショッピングモールに来てみたは良いがどうしたものかと歩きまわっていたところで、どこか外国人のような浮世離れした姿で年も近そうな少女にぶつかったのだ。
彼女の容姿は比較的自分の好みでもあったし、これも何かの縁だろうと勇気を出してアプリを起動したスマホの画面を見せたところ、彼女は本当に催眠に掛かりその場で立ち尽くしている。
……催眠に掛かったのは、良いのだが……──。
「にしても、これ……本物……?」
アマネは微かに震えた声でそんな風に呟きながら、恐る恐るといった様子でゆっくりとソラの頭部にある狐耳に手を伸ばす。
「はい。本物です」
「おわッ」
しかし、今にも指先が狐耳に触れようとしたところでソラが抑揚の無い声で静かに答えるので、アマネはビクッと肩を震わせて間の抜けた声を上げながらその手を引く。
彼女は目に掛かる前髪の奥で驚いたようにその目を丸くして硬直していたが、やがてポリポリと頬を掻きながらオズオズと口を続けた。
「えっと……じゃあそれ、仕舞うことって、出来ないかな……? さっきみたいに……」
「はい。かしこまりました」
ぎこちない口調で言うアマネの言葉にソラは抑揚の無い声でそう答えると、狐人族としての姿から人間の姿に変化する。
尾てい骨の辺りから生えてズボンの中に詰まっていた尻尾は消え失せ、頭部に生えていた大きな三角の耳は普通の人間と同じ小さな耳となって側頭部の辺りへと移動する。
アマネはそれを見て「おぉ……」と溜息混じりに小さくそう呟いたが、すぐに慌てた様子でキョロキョロと辺りを見渡した。
元々あまり人のいないコーナーである上に、二人がいる場所は棚と棚に挟まれた通路の中である為そうそう人目につくような場所では無いのだが、それでも先程のソラの姿が誰かに見られたのではないかと危惧したのだ。
催眠アプリのこともあるしあまり目立ってはいけないと焦ったが、幸い周囲に人気は無く、特に見られた様子も無かった為に彼女はホッと一息ついた。
とは言え、先程の獣耳のことに関しては改めて確認したいところではあるし、ソラへの暗示についても色々と調整したい。
その為にも、一旦どこかに移動したいところではあるが……としばし熟考した後、アマネはソラの顔を見て口を開いた。
「じゃあ、とりあえず……名前を教えて貰っても、良いかな……?」
「はい。私の名前は、根田ソラです」
「こんた……珍しい苗字だね。じゃあ、ソラちゃん。今から私に付いてきて貰っても良いかな?」
「はい。かしこまりました」
暗く淀んだ目で虚空を見つめながら答えるソラの様子に、アマネはひとまず彼女が深い催眠状態であることを再確認しつつ、彼女の手を取って「じゃあ、こっち」と言いつつ手を引いた。
今のソラであれば、わざわざそんなことをしなくても付いてくるのだが、そこは問題外。
出会ったばかりの見知らぬ女に手を引かれ、ソラは覚束ない足取りでショッピングモールを後にするのだった。
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「ただいま~、っと……」
とあるアパートの一室にて、軽い口調で挨拶をしながら鍵を開けて中に入ったアマネは、目の前に広がる自身の部屋を見て、すぐにその目を僅かに顰めた。
彼女の暮らすワンルームの室内は、足の踏み場も無い程の汚部屋とまではいかないが床には大学の教科書やら脱ぎ掛けの洋服類などが散乱しており、人を招き入れるには少々抵抗感のある部屋であった。
アマネはそれに小さく息をつくと、背後に立っていたソラの手を引いて室内に引き込み、玄関の扉を閉めて鍵をした。
「ちょっと掃除するから、靴脱いでその辺で待っててくれる?」
「はい。かしこまりました」
アマネからの命令にソラは淡々とした口調で答えると、言われた通りに靴を脱いでフローリングの床に踏み出し、その場でピシッと両手足を揃えて気を付けの姿勢を取る。
その際に、肩に掛けていた鞄がトサッと軽い音を立てて床に落下するが、彼女がそれを気にする様子は無い。
アマネはその様子を一瞥した後ですぐさま部屋に入り、床に散乱していた私物を棚やクローゼットの中に片付け、多少のゴミはゴミ箱の中に詰め込んだ。
部屋の中心に立ち、軽く室内を見渡してそれなりに綺麗に整頓出来たことを確認した彼女は自分の胸の前でパンパンと軽く両手を叩くと、通路の方に立ち尽くしているソラに顔を向けた。
「さてと、じゃあ……ソラちゃん。こっち来て?」
「はい。かしこまりました」
アマネの言葉にソラは頷くと、相変わらず両手足をピシッと真っ直ぐ伸ばしたまま、室内に向かって歩き出す。
歩く動作の中で床に落ちた自身の鞄を軽く蹴ってしまうが、今の彼女がそれを気にすることは無く、そのまま部屋の中心まで行くと気を付けの姿勢を取って静止する。
アマネはその様子を眺めながら壁際まで後ずさると、近くの床に置いてあった自分の鞄を手元まで引き寄せ、中からスマホを取り出してカメラを起動させる。
「しっかし、まさかあのアプリが本物だったとは……あの人には感謝しなくちゃいけないね」
アマネは小さくそんなことを呟きながらスマホのカメラをソラに向け、虚ろな表情のまま直立不動の姿勢を取る彼女の姿を写真に撮る。
正面から撮った全身の姿やカメラを近付けて虚ろな表情を浮かべる顔面のアップ、左右や後ろから撮った姿に至るまで、彼女の姿を360°様々な角度からくまなく撮影する。
催眠に掛けられた初対面の少女が自分の部屋にいるという普通では考えられない状況に、アマネは自身のスマホに保存されていく写真を見てゾクゾクと背筋に走る何とも言えない高揚感を抱きながらも、目の前に立ち尽くすソラに視線を戻して口を開いた。
「じゃあ次は、アレ見せてよ。さっきショッピングモールでやってた、動物の耳とか生えてたやつ」
「はい。かしこまりました」
軽い口調で言うアマネの命令にソラは頷くと、体から力を抜いて自分の体を変化させる。
頭部からは大きな三角の狐耳が生え、腰の尾てい骨の辺りからは狐の太くフサフサとした尻尾がズボンのウエスト部分の隙間から勢いよく現れる。
今までアニメや漫画などのフィクションでしか見たことのないその姿に、アマネは「おぉ……」と溜息混じりに小さく呟きつつ、スマホのカメラを構えた。
『ッ……!? 見ないでッ!』
しかし、そこでふと、ショッピングセンターでソラに催眠を掛けた時のことを思い出す。
催眠に掛かって脱力したせいか、勝手に体の変化が解けてしまったようで、無意識に現れた自分の獣耳と尻尾を慌てた様子で隠しながら抗議したソラ。
一度掛けた催眠から脱する程に取り乱していた彼女の姿が脳裏を過ぎり、アマネは今にもシャッターを押そうとした指を硬直させた。
──あの時は急に催眠が解けてビックリしたけど、今思うと、アレって……それだけ、この姿を誰かに見られたくなかった、ってことだよね……?
アマネが心の中で小さくそう呟くのと同時に、彼女が構えたスマホの画面の中にいるソラの姿が、僅かに揺らぐ。
──この姿にコンプレックスがあるのか……それとも、何か種族の掟みたいなもので、人にこの姿を見せたらいけない的な決まりがあるのか……。
──どちらにしても、彼女にとっては、催眠に抗ってでも人に見せたくない姿って訳で……。
そんな姿を自分だけに無防備に見せているという状況に、優越感のようなものが胸中に沸き上がるのを感じる。
ソラの容姿は世間一般的に見てもかなり良い部類である上に、そんな彼女に獣耳と尻尾が生えた姿は愛らしく、催眠によって生み出された現状を抜きにしてもその姿は思わず写真に収めたいと思ってしまう程に可愛らしいものであった。
でも……──と、アマネはスマホを握る力を強めながら、画面に映るソラの姿から視線を逸らすかのようにその目を伏せる。
──あそこまで人に見せたくないと思ってる姿……撮られたい訳、無いよな……。
彼女は心の中でそう呟きながら、カメラを起動したままのスマートフォンをゆっくりと下ろ──
「……」
──そうとしたところで、アマネの赤みがかった茶色の瞳が、微かに濁る。
瞳に宿る自我の光は薄れ、その奥にある瞳孔は一瞬焦点を失ったかのようにブレた。
同時に、一瞬だけ頭の中に靄が掛かるような何とも言えない感覚があり、先程までソラのことを慮っていた思考が途切れる。
「……?」
しかし、それもほんの一瞬の出来事で、アマネはすぐに不思議そうな表情で顔を上げた。
一瞬意識が途切れたような何とも言えない感覚に、彼女は自分の頭を押さえながらキョロキョロと軽く部屋の中を見渡す。
瞼に掛かる長い前髪の奥にあるその目はハッキリと焦点が定まっており、自身の状況を確認するように、室内や自分の体に何度も忙しなく視線を走らせている。
しかし、長い前髪と電灯のせいだろうか。
先程までその瞳に宿っていた光は消え、何とも言えない仄暗さを漂わせていた。
──……まぁ、良いか。
少しの間自分の状況を確認していたアマネだったが、不意に心の中でそう呟くのと同時に動きを止め、ユラリと顔を上げて目の前に立っているソラに視線を向けた。
──それより、もっと……資料、集めなくちゃ……。
彼女は内心でそう続けると、どこか緩慢な動きで両手に握ったスマートフォンを構え直し、獣耳と尻尾を生やしたソラの姿を画面に映す。
そして先程と同じようにシャッターを押し、ソラの撮影を再開した。
全身、獣耳を含めた顔のアップ、左右からの姿に後ろ姿に……と。
撮影を続けていく内に、いつしかアマネの瞳には光が戻っており、ある程度写真を撮り終えると満足したようにスマホを下ろして続けた。
「良いね、ソラちゃん。じゃあ次は、服を脱いでみてくれるかな?」
「はい。……かしこまりました」
アマネの言葉にソラは抑揚の無い声でそう答えると、緩慢な動きで自身の服に手を掛ける。
しかし、いざ脱衣を開始しようとした時、彼女の手はピタリとその動きを止めた。
その様子を見て、アマネはピクリと微かに眉を潜めた。
「……ソラちゃん? 何してるの?」
「……」
訝しむように聞き返すアマネの言葉に、ソラは答えない。
虚ろな表情のまま、自身の服に手を掛けた姿勢で硬直する彼女の様子に、アマネは不審がるように眉間にシワを寄せて小さく唇を噛んだ。
──催眠が解けかかってる……というよりは、今の命令に抵抗してる……?
──少し強めに命令でもすれば従うのかもしれないけど……強引に言うことを聞かせようとしたら、また催眠が解けてしまうかも……。
そんなに嫌がってることを無理強いするのもな……と、先程の命令を撤回しようとしたアマネの視線が、微かにブレる。
一瞬、虚空を見つめるかのように目の焦点が合わなくなるが、すぐにその目は再度ソラの姿を捉える。
アマネは呆けたような表情で数秒程の間ソラのことを見つめていたが、やがてフッと小さく息を吐くように笑みを零すと、その手に持ったスマホを自分の手元に戻して軽く操作した。
「……ま、いっか」
彼女は軽い口調でそう呟くのと同時に催眠アプリを起動し、未だ目の前で立ち尽くしたままのソラにスマホの画面を見せた。
虚ろな表情で硬直していたソラは、眼前に突き出されたその画面を真正面から目視した瞬間「ぁ……」と掠れた声を漏らし、自分の服に引っ掛けていた両手を脱力させてダランと垂らす。
彼女がまたもや催眠状態に陥ったのを確認したアマネは、口元に緩く笑みを浮かべながらスマホを持っている方の手をソラの腰に回し、空いている方の手で彼女の虚ろな両目を覆うように頭を掴んでそのまま後ろに倒させた。
催眠アプリでまたもや催眠状態に落とされたソラに抵抗の術は無く、「ぁ……」と小さく声を漏らしながらカクンとなすがままに頭を後方へと倒す。
それと同時に体も後ろに倒れそうになるが、腰に回されたアマネの手によって体は支えられ、頭を後方に倒しながらぐったりと脱力して身を委ねることになる。
身長差があるとは言え、流石に同年代の女性一人の体を片手で支えるというのは難しかったようで、アマネはソラを自分の体に凭れ掛からせるようにして支えた。
それから、ソラの両目を覆うように掴んだ手で彼女の頭をゆっくりと回しつつ、その動きに合わせて揺れる狐耳に口を近付けた。
「はい。こうやって頭を回されると、段々何にも考えられなくなっていく……考える力とか、命令されたことを嫌だと思う気持ちとか、全部抜け落ちていって……頭が空っぽになっていくよ……」
「ぅぁ……ぁ……」
「空っぽ……空っぽ……何も考えない、何も感じない……主である私の声に素直に従うだけの、空っぽなお人形になってしまおうね……」
頭を回されて掠れた声を漏らすソラに対し、アマネはゆったりとした穏やかな口調でそう言いながら、ソラの両目を覆っていた手から力を抜く。
全身から脱力して文字通り身を委ねる状態となっていたソラは、突然自身の頭を掴んでいた手を離され、頭を回されていた動きのままにガクンとその首を後方へと倒した。
頭部をアマネの腕に預ける形で天井を仰ぐソラの虚ろな瞳は上の方を向いて瞼で見え隠れしており、半開きになった口の端からは一筋の涎を垂らしていて、更に深い催眠状態へと沈んだことを顕著に示していた。
アマネはその様子を見て微かに口元を緩めると、自身の腕に身を委ねる少女の琥珀色の頭を優しく撫で、その手で後頭部を支えながら同色の大きな狐耳へと口を近付けた。
そして……──
「じゃあ、命令。……服を脱ぎなさい」
──……冷ややかな声で、囁く。
今までよりも威圧的で有無を言わせない口調で紡がれたその言葉に、完全に脱力した様子だったソラの体が、ピクリと微かに震える。
「……はい。かしこまりました、ごしゅじんさま」
彼女は吐息混じりのか細く掠れた声でそう答えると、ゆっくりとアマネの腕の中から起き上がり、緩慢な動きで自身の服に手を掛けた。
一番上に羽織った薄手のロングカーディガンから腕を抜いて床に落とし、その下に身に付けていたシャツに手を掛けて……──と、数刻前の抵抗が嘘のように従順に脱衣を始めるソラの様子に、アマネは満足気に頷きながらスマホで写真を撮る。
そこでふと、彼女の脱衣の動きに合わせて揺れる狐耳や尻尾を見て、「そういえば」と呟きながらスマホを下ろした。
「服脱ぎながらで良いんだけどさ……結局その、狐の耳と尻尾って何? 普通の人間……では、無いんだよね?」
「はい、ごしゅじんさま。わたしは、こじんぞくとよばれるしゅぞくの、ひとりです」
「……コジンゾク?」
聞き慣れない単語に、アマネは訝しむように眉を顰めながらそのまま聞き返す。
それに、ソラは服を脱ぐ動きを止めないまま「はい、ごしゅじんさま」と答える。
「むかしは、きつねのすがたをしたしゅぞく、だったようですが……いまでは、みみとしっぽがはえていたり、かみのいろがひとより、うすいくらい、です……」
「へぇ……でも、その耳と尻尾も隠せるんだよね?」
「はい、ごしゅじんさま。いつもは、こじんぞくだと、しられないように……かくして、すごしています……」
「その、コジンゾク? とやらのこと……あまり人には知られたくないんだ?」
「はい、ごしゅじんさま。しゅぞくの、おきてで……がいぶのにんげん、には、しられては、いけないことに、なっています……」
原則として、外部の人間に洩らしてはならないと村の掟で決められている狐人族の情報を、ソラは呂律が回っていないようなたどたどしい口調であっさりとアマネに打ち明ける。
それに対して、アマネはしばしの間驚いたような表情を浮かべていたが、すぐにその目を伏せながら自分の頬をポリポリと掻いた。
「……まぁ、そりゃそうか。こんな種族がいるなんて知れたら、世の中大騒ぎだもんね」
そんな風に呟きながら視線を彷徨わせた時、この部屋の玄関から入ってすぐの所に、ソラの鞄が落ちたままになっていることに気付いた。
──いつもは正体を隠して過ごしてる……ってことは、いつもは普通の人間と同じように生きてる、ってことだよね……?
──ショッピングモールで会った時も全然気付かなかったし……一体、普段はどんな生活してるんだろう?
ふと沸き上がった好奇心に突き動かされるように顔を上げると、そこでは脱衣を終えて一糸纏わぬ姿で気を付けの姿勢を取っているソラがいた。
もう脱ぎ終わったのかと驚くのと同時に、ベッドから立ち上がろうとしていたアマネはあることを思いつき、すぐにその場に座り直して口を開いた。
「ソラちゃん、そこに落ちてる鞄。拾ってきてよ」
「はい。かしこまりました、ごしゅじんさま」
小さく笑みを浮かべながら言うアマネの言葉に、ソラは抑揚の無い声でそう答えて踵を返し、通路に置いたままとなっている自分の鞄を拾い上げる。
それから言われた通りにアマネの元へと持ってくるので、彼女が「ご苦労様」と答えながら鞄を受け取ると、ソラは数歩後ずさって先程と同じように気を付けの姿勢を取って次の命令を待つ。
アマネはその様子を一瞥すると、すぐに自分の手元にある鞄に視線を下ろした。
早速鞄の中身を探ってみると、中には分厚い小説が一冊と、財布と化粧ポーチ。スマホとモバイルバッテリーに、充電コードとポケットWi-Fiと言った物が入っていた。
──すっごい現代っ子だな……。
アマネは内心そんな風に驚きつつ、ひとまず鞄の中からソラの財布を取り出して中身を探ってみる。
彼女はあまり現金を持ち歩かない主義なのか、財布の中には現金はほとんど入っておらず、クレジットカードや何かしらのポイントカードなどが多く入っている様子だった。
特に目ぼしい物は無さそうだな、なんて考えながら財布を閉じようとした時、何やら既視感のあるカードが目につき彼女は微かに目を丸くした。
「これは……」
アマネは掠れた声で小さくそう呟きながら、財布の中にあるカードポケットから、目についたとあるカードを取り出した。
それは、ソラが通う大学の学生証だった。
狐の耳を隠して普通の人間と同じ姿をしたソラの顔写真と共に、彼女の名前や所属する学部や学科、学籍番号などが書かれている。
「……えっ、これ、同じ大学じゃん。しかも、この学籍番号……私より先輩……?」
手に取った学生証の内容に、アマネは信じられないといった様子でそう呟いた。
学生証に記載されている学年や学籍番号は、今年の春に入学したばかりの自分より一学年上の先輩であることを示していたからだ。
小柄で華奢な体つきや幼い容姿のせいか、当然のように自分より年下の中高生だと考えていた為、まさかの年上という事実に驚きが隠せない。
ここまで来て、今更そんなことが分かったところで何の意味も無いということは分かっているのだが……見た目とのギャップや、こんな珍しい種族が思いのほか身近にいたという事実に、流石に少し動揺してしまった。
「とりあえず……これ持ったまま、そこで立っていて」
「はい。かしこまりました、ごしゅじんさま」
動揺したままのアマネがオズオズとした口調でそう言いながら学生証を差し出すと、ソラは言われた通りに学生証を受け取り、両手で持ったままその場に立ち尽くす。
アマネはそれに「学生証の写真が付いている面をこっちに見せて」と言いながらスマホの催眠アプリを閉じてカメラを起動する。
その間に、ソラは言われた通りに自分の個人情報が記載された学生証をアマネの方に向けるようにして直立するので、アマネはその様子を写真に収める。
もし仮に、今後ソラの催眠が解けることがあったとしても、狐人族の情報とこの写真で口封じが出来るように。
正面からの撮影を始めとした様々な角度からの写真を隈なく撮り尽くした後、彼女は「ふぅ……」と小さく息をついて室内に置いてあるベッドに腰掛けた。
──粗方資料は集められたと思うけど……何か、もう少し色々と命令とかしてみた方が良いんだろうか。
──けど、その場合どんなことさせたら良いんだろ……。
心の中でそんな風にぼやきつつ、彼女はなんとなく狐の生態についてスマホで検索してみた。
なんとなく画面をスワイプさせつつ目の前に表示される文章を読んでいた彼女は、とある一文を見て「はぁ?」と思わず声を上げた。
「哺乳網ネコ目イヌ科……って何? 猫? 犬?」
彼女はそんな風に呟きながらチラリと視線を上げ、学生証を持ったまま立ち尽くしているソラを見た。
──イヌ科……ってことは、犬の仲間って解釈で良いのか?
──でも、この子の雰囲気はどっちかと言うと猫っぽいような気もするし……。
「……ソラちゃん。私の声、聴こえてる?」
「はい、ごしゅじんさま。きこえています」
しばしの間熟考していたアマネは、不意に顔を上げてソラに視線を向けながら問い掛ける。
それに、ソラは相変わらず抑揚の無い声で淡々と答えるので、アマネはその目を微かに細めながら続けた。
「今の貴方はどういう存在なんだっけ? 教えてよ」
「はい。わたしは、なにもかんがえずに、ごしゅじんさまのこえにしたがう……あたまからっぽの、おにんぎょうです……」
「うん、そうだね」
虚空を見つめたまま答えるソラの言葉に、アマネは満足げな笑みを浮かべながらうんうんと頷いて答える。
彼女はベッドに腰掛けた姿勢のまま前のめりになるように体を前傾させ、自分の膝の上で頬杖をついて両手の指を絡めながら、更に続けた。
「それじゃあ、今から私が言うことをよく聞いていてね? これから私が手を叩くと、貴方は犬になります」
「わたしは……いぬ……」
「そう、犬。人懐っこくて、ご主人様である私のことが大好きな甘えん坊の飼い犬。ご主人様に褒められることが何よりも大好きで、ご主人様の言うことならどんなことでも尻尾振って喜んで素直に従っちゃう可愛いワンちゃんになるんだよ」
「ひとなつっこい……ごしゅじんさまのこと、だいすき……あまえんぼう……ほめられる、だいすき……ごしゅじんさまの、いうこと……すなおに、したがう……わんちゃん……」
虚ろな表情のままアマネの命令を淡々と復唱するソラであったが、一通り復唱すると彼女は小さく頷き、「はい。かしこまりました、ごしゅじんさま」と答えた。
アマネはそれに小さく笑みを浮かべて「良い子」と答えると、絡み合わせていた両手の指をゆっくりと離し、パンッと乾いた音を立てて手を叩く。
直後、一瞬ソラの表情から全ての感情が抜け落ちたかのような間が生じるのと同時に、彼女の手からヒラヒラと学生証が落ちていく。
かと思えば、彼女は突然床の上に四つん這いになり、「ワンッ、ワンッ」と鳴き声を上げた。
「おぉ~! 凄い凄い! 成功だ!」
アマネはその様子を見て、歓喜の声を上げながらベッドから立ち上がる。
するとソラは「ワンッ!」と一際強く鳴いたかと思うと、四つ這いのまま主の元へと駆け寄りそのまま彼女に抱き着いた。
小柄とはいえ、人間よりも優れた身体能力を持つ狐人族の成人女性にいきなり正面から突進され、ロクに身構えてすらいなかったアマネは「おわッ!?」と声を上げながら後方に倒れ込む。
二人分の体重を受け止めた安物のベッドがギシギシと鈍い音を立てるが、無邪気な飼い犬に生まれ変わったソラがそんなことを気にする訳も無く、腰から生えた狐の尻尾をブンブンと勢いよく振りながら小さく可愛らしい舌でアマネの顔をペロペロと舐める。
それにアマネは困ったように笑って「分かった、分かったから」と言いつつ、ソラの体を引き離すように片手を突き出した。
「あははッ、いきなり熱烈歓迎で嬉しいけどッ……ソラ、おすわり!」
「ワンッ」
何とか命令したアマネの言葉に、ソラは元気よく答えながらアマネの体から離れるようにしてベッドから下り、そのまま床の上でおすわりをした。
彼女は一糸纏わぬ裸体のまま、陰部が曝け出されることも構わず両足をM字開脚のように大きく開き、両手を床についた姿勢で舌を出しながら「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」と息を荒げる。
アマネは先程の抱擁で乱れた前髪を掻き上げつつ、緩慢な動きでベッドから体を起こして言い付けを守るソラの姿を見ると、驚いたようにその目を丸くして硬直した。
しかし、彼女はすぐにフッと息を吐くように笑みを浮かべると、そのままゆっくりとベッドから腰を上げた。
「よ~しよし、ソラは言うことが聞けて良い子だね~!」
彼女は優しい笑みを浮かべながらそう言い、おすわりの姿勢を取っているソラの頭をワシャワシャと雑に撫でる。
それにソラは舌を出したまま「ハッハッハッハッ」と更に息を荒げ、狐の尻尾をブンブンと激しく横に振る。
アマネはその様子を見てクスリと小さく笑みを浮かべると、ソラの狐耳を指で優しく撫でながらその場でしゃがみ込み、彼女と視線を合わせながら続けた。
「じゃあ、ソラ。お手っ」
「ワンッ」
「おかわりっ」
「ワンッ」
「おまわりっ」
「ワンッ」
ソラはアマネの命令に鳴き声を上げて従順に従い、言われた通りにその場でグルリと三回転する。
その様子を見たアマネはクスクスと楽しげに笑みを零し、ソラがおまわりを終えるのと同時に「ちんちんっ」と命令する。
するとソラは「ワンッ」と元気よく鳴き、その場で両足をがに股で大きく開いた蹲踞のような姿勢で体を支えながら、両手を胸の高さまで持ち上げてちんちんの姿勢を取る。
アマネはそれを見て満面の笑みを浮かべると、すぐに「上手だね~! 偉い偉い!」とほめながら今度は両手でソラの頭をワシャワシャと撫でる。
先程よりも熱烈に褒められ、ソラは悦楽のあまりに舌を出したままその顔をトロンと蕩けさせ、尻尾をユラユラと左右に揺らしながら露わにした秘部を愛液で濡らす。
それに、アマネはその顔に浮かべていた笑みを緩めて小さな微笑を浮かべると、目の前にある大きな狐耳をわしゃっと軽く撫でつけた。
「ホント……よく出来ました」
彼女は小さく呟くようにそう言うと、右手の人差し指をソラの額に当てて、続けた。
「それじゃあこの状態で私が三つ数えると、ソラの頭の中は可愛い私の飼い犬からお人形の意識に戻るよ。はい。さん、にぃ、いち……──」
──……ゼロ、と。
彼女が静かな声でそう言うのと同時に、法悦に蕩けていたソラの顔は虚ろな無表情へと変わり、全身から力が抜けてちんちんの姿勢から崩れ落ちる。
ぺたんとその場に尻餅をつき、その勢いのまま後方へと倒れ込みそうになるが、アマネが「おっとと……」と呟きながら片手で華奢な背中を支えたことで保護される。
手足を投げ出して脱力したまま座り込むソラの姿は、まるで店先に並ぶ愛らしい玩具のようで、文字通りのお人形になってしまったかのようだった。
アマネはそんな彼女の体を支えつつ、空いている方の手の人差し指をもう一度彼女の額にあてがい、ゆっくりと続けた。
「それじゃあ、次にこの状態で私が三つ数えると、ソラの意識は猫になっていくよ」
「……ねこ……?」
「そう。大好きな飼い主の私に甘えたがりの、可愛い猫ちゃんになるんだよ。はい。さん、にぃ、いち、ゼロ」
アマネはカウントダウンを終えるのと同時に、ずっと指を当てていたソラの額を、トン、と軽く押した。
すると、ソラの頭は一瞬後方へと倒れ、虚ろに淀んだ瞳はグルンと天を仰いで白目を剥きそうになる。
しかし、彼女の頭はすぐさま立ち直り、焦点の合わないその目で自分の体を支えてくれているアマネの顔を見つめた。
「……ふみゃぁ……」
かと思えば、彼女は涎を垂らしたままの口から媚びたような甘い声を漏らし、ゆっくりと体を起こしてアマネの方へと距離を詰める。
自分よりも長身な彼女の体にしなだれかかり、細くくびれた腰に両手を回して首筋に顔を埋めながら、「んみゃぁ……」と甘ったるい鳴き声を発する。
それにアマネが小さく笑みを零しながらソラの頭を優しく撫でつけてやると、彼女は自身の尻尾を主の体に巻き付けつつ、喉の奥から呻くような声を漏らした。
「……それ、もしかして、喉鳴らしてるつもり?」
アマネが穏やかな口調でそう聞き返すと、ソラは顔を上げて彼女の目を見つめ、「みゃぁ」と小さく鳴くことを肯定に変える。
それに、アマネは一瞬驚いたように口を噤んだが、すぐにその表情を柔らかく破顔させてソラの頭を撫でた。
「あはは……本当、可愛いなぁ……」
彼女は小さくそう呟きながら、自分の腕の中にいるソラの白い頬を掌でソッと優しくなぞり、指先で顎をくすぐるように撫でる。
すると、ソラはピクピクと狐耳を揺らしながら心地よさそうに主の愛撫を受け入れるので、アマネは唇で弧を描くように笑みを浮かべながらその様子を見つめた。
……光を失い、仄暗い影を宿した、その瞳で。
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「ふむ、やはりか……失敗したな」
ある大学の薄暗い研究室にて、カタカタとパソコンを操作していた一人の女性は、そんな風に呟きながら小さく嘆息した。
彼女が制作した催眠アプリには、人の脳波に干渉して思考を鈍らせる効果のある音声を流し、画面に表示される螺旋の映像と合わせて使用することで視覚と聴覚の両方に作用して暗示を刷り込みやすい状態に陥らせる機能が備わっている。
しかし、アプリに収録されている音声の周波数は人間が聞き取れる範囲よりも高く、聴覚を通して人の脳に関与するという本来の効果が十分では無いのだ。
──こんな初歩的なミスにも気付かないとは……私らしくも無い。
──しかし、こんな失敗作を押し付けてデータを集めてきて欲しいなんて言ってしまって、あの子には申し訳ないことをしたな。
──流石にこれは、何か埋め合わせでもしてあげないと失礼か。
心の中でそんな風に考えながらアプリの調整を行っていた時、机の端に置いてあったスマホがピロン♪ と軽やかな着信音を奏でた。
女はそれを聞いてピタリとその手を止めると、すぐに自分の頭を軽く掻きながら小さく溜息をついた。
──大方……あのアプリが使い物にならなかった、といった内容の報告か。
──面倒だが……こんな失敗作を押し付けてしまった手前、他でも無い私が彼女からの連絡を無碍にする訳にもいかないよな。
彼女はそんな風に考えながらもう一度溜息をつき、チカチカと光を点滅させるスマートフォンを手に取って、通知を開いた。
そして、案の定アプリが使えなかったという不満のメッセージを読んで、やっぱりかと──
『先生が作ったアプリ、ちゃんと使えました!
今日ショッピングモールで見掛けた女の子にアプリ使ってみたんですけど、大成功です』
「──……は?」
画面に表示された、予想通りの相手から送られてきていた予想外のメッセージに、彼女は思わず間の抜けた声を漏らした。
画面をスワイプさせてみれば、琥珀色の髪をした小柄な少女が虚ろな表情で気を付けの姿勢を取っている様子を、様々な角度から撮影した写真が送られてくる。
その背景は送り主の自室内であり、本当に催眠アプリで催眠状態へと堕として自分の家に連れ込んだことが窺える。
──……いや、そんな訳が無いだろう。
女はそんなことを考えながら前髪を掻き上げ、ぐしゃりと音を立てて握り締める。
“彼女”に渡した催眠アプリは欠陥品で、一切の面識が無い一般人に使っても何の効果も無い筈だ。
写真に写っている少女が同じ大学の女子生徒であることは分かるが、“彼女”とは学年も違う為、元から交流があったとは考えにくい。
──それなのに、どうして催眠状態に落とすことが出来たというのか……。
『そういえば後から知ったんですけど、この人同じ大学の生徒だったんですよ!』
『先生、この人知ってますか?』
そんな中で、彼女からは続けてそんなメッセージと共に少女の学生証の画像が一緒に送られてくる。
やはり初対面だったかと納得する気持ちと、そんなことは分かっているという八つ当たりのような苛立ちの感情が同時に込み上げ、ひとまず一旦思考の整理を付けようとスマホを置き……──
「──……待てよ?」
そこで、ふと……──女は小さく呟く。
彼女はすぐに送られてきた少女の画像の内、顔をズームにして撮った画像を開きつつ、パソコンのフォルダの中にある以前集めた国内の伝承に関するデータを開く。
伝承の内容によると、はるか昔この国には稲荷神から力を分け与えて貰い、狐の姿を持つ『狐人族』と呼ばれる種族がいたらしい。
その種族は黄金色の体毛に身を包み、神から与えて貰った優れた身体能力と感覚機能を有していたのだと言う。
この伝承を見た時は、突拍子の無い御伽噺だと吐き捨てて馬鹿にしたものだが……──
「なるほど……──狐人族、ねぇ……」
女は自身の顎に手を当ててそんな風に呟きながら、スマホに表示されている、琥珀色の髪を持つ少女の姿をジッと見つめていた。