【先行公開】春陽は秋の夜長に染められて
🕑 Added 2023-11-17 15:53:17 +0000 UTC
『色彩は艶やかに染められて』の続編です。
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金曜日の昼下がり。
午後一番の講義を受ける為に階段教室を訪れた僕、新見 晃は、いつも通り窓際の一番後ろの席に腰掛けると、背負っていたリュックサックを隣の席に下ろした。
今日は朝から講義があり、昼食後ということもあってか大分疲労感が溜まっているのを感じる。
と言っても、これが今日受ける最後の講義だし、もうひと踏ん張りか……なんて考えつつ、僕は椅子に置いたリュックサックを漁り、次の講義で使うテキストや資料を探した。
「すみません」
すると、頭上から声が降って来るので、僕はリュックを探る手を止めて顔を上げた。
そこには、見覚えのない女性が二人立っていた。
「……何ですか?」
「あの……もし良かったら、隣良いですか?」
二人組の内の、長い黒髪の女性の言葉に、僕は少しだけ目を逸らして教室の前方の方に視線を向けた。
まだ次の講義が始まるまで二十分程度あり、教室にいる学生は疎らで席なんていくらでも空いている。
講師に当てられたくなくて後ろの席に座りたいのだとしても、わざわざ初対面の学生に声を掛けて隣に座らせて貰う労力をかける必要性は無い。
あぁ、またこのパターンか……と、僕は内心で辟易としつつ、リュックから出したテキストをテーブルに置きながら口を開いた。
「ここ、友達が来るんで。……他当たって下さい」
僕はそれだけ言うと席に座り直し、スマホを開いて画面に表示されていた男性人気アイドルの熱愛報道のネットニュースを開く。
それに、僕に声を掛けてきた女性二人はまだ何かを言っている様子だったが、全く相手にしていない僕の態度を見て諦めたようで、少ししてから別の席へと移動していった。
スマホの画面に表示されているニュース記事を読みつつ、軽く横目でその様子を一瞥した僕は小さな溜息を一つつき、またすぐにスマホの画面に視線を戻した。
……昔からそうだった。
兄が二人、弟が一人という男兄弟に囲まれて育った僕は、幼少の頃からどちらかと言えば男子寄りな嗜好をしていたと思う。
兄のおさがりで服も男モノばかり着ていたし、髪も長いと邪魔なので短くしており、身長も他の同性と比べて高い方なので傍からは男子にしか見えなかっただろう。
クラスの男子からはオトコオンナなんてからかわれることもあったが、僕自身も自分の恰好が好きだったので、あまり気にはしていなかった。
ただ、問題が一つあった。
嫌味とも捉えられるかもしれないが……僕の容姿が、人よりも優れている部類らしかったこと。
小学校では僕を取り合って女子が喧嘩することなんて日常茶飯事だったし、中学や高校では親しくしていた女子から告白されたり、異常に執着されることだって多々あった。
僕が所属していた女子グループの全員が僕のことを好きになったことだってあったし、付き纏われたり、酷かった時は盗聴器や盗撮カメラを仕込まれることだってあった。
そしてクラスの女子が皆僕のことを好きになるものだから、男子からは疎まれて、陰口を言われたり嫌がらせを受けることだってあった。
なので、こうして大学に進学してからは誰とも親しくせずに教室の隅で存在感を消しているのだが、それでもこうして声を掛けられることは少なくない。
まぁ、中高時代と比べたらかなりマシな方ではあるけどさ……なんて考えていた時だった。
「席取り感謝~」
隣からそんな声がしたかと思えば、隣の席に置いていたリュックサックがひょいと軽く持ち上げられ、誰かが隣に腰掛けた。
咄嗟に顔を上げると、そこには……色素の薄い長髪の上に帽子を目深に被り、マスクにサングラスを掛けた女性がいた。
「……すみません。そこ、友達が座るんですよ」
僕はそんな風に答えつつ、彼女の手からリュックサックを受け取る。
それに彼女が「えぇッ!? 私だよ私ッ!」と慌てた様子で声を上げるので、僕は思わず吹き出してしまった。
「ははは。冗談だよ、ハル」
「もぉ~アキってば……」
僕の言葉に、彼女──菅原 遥は不満げにそう言って頬を膨らませつつ、変装用の帽子とサングラスを脱ぐ。
彼女は高校生の頃から読者モデルとして活動しており、大学に進学してからは事務所に所属して大学生とモデルを両立している今話題の人気モデルだ。
たまにメディア出演もしているようで、こうして学校に来る際にはマスクやメガネ等の変装が欠かせないらしいが……今日はまた一段と大層な変装をしている。
まぁ、仕方がないか……と、僕は手に持ったスマホの画面を一瞥して軽く嘆息し、彼女に視線を戻して口を開いた。
「でも、その……そこまでして、無理に学校来なくて良かったんじゃないの? 今、色々大変でしょ……?」
僕はそう聞き返しながら、持っていたスマホの画面を彼女に見せる。
『アイドルグループ「BRAIN」のタクヤ、話題の女子大生モデルとツーショット!?』
そんなタイトルと共に、どこかで隠し撮りされていたらしい、街中を歩く遥とタクヤとやらのツーショットが表示された画面を。
そんな私の言葉に、遥は「あぁ~……」と言いながらサングラスを外し、すぐにクシャッと困ったような笑みを浮かべた。
「まぁ、ね……もう見てたんだ」
「……タイトル的に、ハルだろうなと思って。……学校来て大丈夫だったの?」
私はそう聞き返しつつ、軽く教室の中を見渡す。
ただでさえ遥は人気のあるモデルである上、今回熱愛報道が出た相手が所属しているグループも、最近よくテレビで見掛けるような有名グループだ。
変装しているとは言え皆気付いている様子で、声こそ掛けてこないものの、チラチラとこちらの様子を窺っているのが分かる。
見世物じゃないぞと内心憤っていると、彼女は笑顔で「大丈夫だよ~」と言いながらヒラヒラと軽く手を振った。
「元々見られるのは慣れてるし、むしろ、これで学校休んだら……何か、如何にもって感じしない?」
「まぁ……」
「どうせ皆こんな記事のことなんてすぐに忘れるし、これで何か問題があったらその時はその時! 事務所に相談するっ!」
なんて楽観的な……と。
胸を張って宣言する遥の様子に、僕は内心呆れてしまう。
すると彼女は僕の顔を見て、すぐにニカッと白い歯を見せて笑った。
「それに、大学ではアキが付いてるもんねっ」
屈託のない笑顔でそう言ってくる遥の言葉に、僕は熱を帯びた頬を緩めることを返答に変えた。
……モデルという仕事をしており、同業のモデルや様々なタレント等、世間的に見て優れた容姿の人間と関わる機会が多いからだろうか。
彼女だけは、ごく普通の友人として気さくに僕と接してくれる。
元々は、仕事の都合で講義を休んだ彼女に頼まれて、ノートを見せたのがきっかけだったか。
他の学生と違って自然に接してくれる彼女の態度に惹かれ、今では唯一無二の親友と言っても過言では無い程に親しくしている。
芸能人と一般人という大きな違いがあるとは言え、彼女も僕と同じように容姿のことで苦労してきたようで、そう言った悩みを共有出来たのも仲良くなるキッカケだったように思う。
「……でも、早く収まると良いね。こんな根も葉もない噂で話題になって……有名人は大変だね」
僕はそんな風に返しつつ、開いていた記事を閉じ──
「ん? あぁ、別に嘘ではないよ?」
──ようとしたところで、不意に遥はそう告げた。
彼女の言葉に、ブラウザバックのボタンに伸びていた親指がピタリと止まる。
思わず顔を上げると、そこでは変装用の伊達メガネを掛けながら、平然とした態度でこちらを見つめる遥がいた。
数刻置いて、彼女はハッとした表情で「あれっ?」と声を発した。
「もしかして、言ってなかったっけ? ……私、この人と付き合ってるんだよ」
後半の方を僕にしか聴こえない程度の小声で言いながら、僕の持っているスマホの画面に表示されている画像をトントンと指で軽く叩いた。
……は……? 何を、言って……?
「なん……えっ……?」
「ビックリした? そっか、言ってなかったか。実は一ヶ月から付き合ってるんだぁ」
これ、一ヶ月記念に貰ったプレゼントなの、と。
遥は服に隠していた金色のネックレスをソッと外し、他の学生には見えないよう手の中に隠しながら僕にだけ見せてくる。
細く華奢な彼女の手の中にある桜の形をした宝石を眺めながら、僕は一度深い呼吸をし、すぐに「そう、なんだ……」と絞り出した。
すると彼女は小さく笑みを浮かべてネックレスを手元に戻し、口元に人差し指を当てて「皆には内緒ね」と続けるので、僕は咄嗟に何度か頷くことしか出来なかった。
「……でもさ、いつの間にこんな写真撮ってたんだろ。全く、油断も隙もありゃしないよね」
右手を強く握り締めて口を噤むことしか出来ない僕に対し、遥はあっけらかんとした態度でそう言いつつ、ネックレスを首に掛け直して服の中に隠す。
それに何と答えたら良いか分からず声に詰まっていると、彼女はふと何かを思い出したような表情を浮かべ、僕の顔を覗き込んできた。
「ね、アキ。今日って、この講義が終わった後って空いてる?」
「ぅえッ……? あ、空いてるけど……」
「じゃーさ、今日……アキんち行ってもいい?」
耳元で囁かれた言葉に、僕は思わず目を見開いた。
「い、良いけど……急にどうして……?」
「ん? や~、まぁ、やっぱ色々疲れちゃってさ? ちょっとくらいゆっくりしたいわけよ、私も」
彼女はそんな風に言いながら、ポフッと軽い音を立てて僕の肩に頭を置いてくる。
僕はそれにソッと顔を背けて窓の外に視線を向けながら「ハルはしょうがないなぁ」と返すと、彼女はクスクスと楽しげに笑いながら頭の位置を軽く正す。
その感触に思わず下唇を噛んでいるとすぐさまチャイムが鳴り、講師の先生が教室に入ってくるので、遥はすぐに体を起こして講義の準備を始めた。
肩に残った温もりと、少しだけ早くなった鼓動の音を聴きながら視線を落とした僕は……足元に置いたリュックサックの中にある、一冊のテキストが目に入った。
それは、午前中の講義で使用した……催眠療法に関わる本だった。
「ッ……」
その本に気付いた瞬間、僕は微かに息を呑む。
直後、トントンと軽く肩を叩かれるので、僕を思わず肩を震わせながらも慌てて顔を上げた。
そこには、申し訳なさそうな表情でこちらを見ている遥がいた。
「ごめん、アキ~。教科書忘れちゃった。見せて~」
「あ、あぁ……勿論……」
「ありがと~!」
小声でお礼を言ってくる遥に笑みを返しつつ、僕は講義内容に関するページを開いた教科書を遥との間に置いて、講義に挑んだ。
しかし……今日の講義の内容は、全く頭に入って来なかった。
---二ヶ月前---
「あの……! 二人って付き合ってるんですか!?」
講義が終わった帰り道。
遥と歩く僕の前に現れた女子学生は、突然そんなことを言ってくる。
彼女は……最近、僕の周りを付き纏っている、いわゆる追っかけのような存在だ。
たまに話し掛けてくることもあったが、まさか出し抜けにこんなことを聞いてくるだなんて。
一体どう躱したものか……。
「うんっ! 実はそうなんだ~」
一人逡巡していると、隣にいた遥がそう言って僕の手を取ってきた。
……はっ? 何言ってんの?
「ちょっ、ハルッ……!」
「なッ……モデルが交際なんて、良いんですかッ!?」
「別にモデルは恋愛禁止じゃないし、言いふらしたいなら勝手にすれば? 私は構わないよ」
激昂する女子学生に対し、遥はけろっとした態度でそう言って僕と繋いだままの手をヒラヒラと軽く振って見せた。
それに思わず「ハル、何言ってるんだ」と声を荒げようとしたが、彼女の名前を呼んだところで口を塞がれた。
くぐもった声を洩らすことしか出来ない僕に対し、女子学生の方はその顔を怒りに染め上げてしばしの間プルプルと僅かに震えていたが、やがて「失礼しますッ!」と声を荒げて走り去った。
「ぷはッ……! ちょっ、ハル、恋人って……ッ! 何言ってんのさ!」
「ん~? あぁ、心配しなくても大丈夫だよ。私みたいなちょっと知名度がある程度のモデルと一般人の熱愛報道なんて、出たところでそんな話題には」
「そうじゃなくてッ! なんであんな嘘をついたんだッ!」
あっけらかんとした平然とした態度を崩さない遥に、僕は思わずそう声を荒げる。
それに、彼女はキョトンと不思議そうな表情を浮かべたが、やがてヘラッと軽く笑って続けた。
「だって、あの子。これくらいしないと諦めなかったでしょ?」
「それはッ……」
「それに、アキとなら噂になっても良いし」
どこか悪戯っぽい笑みを浮かべて続けられたその言葉に、僕は何も答えられなくなる。
鼓動の音が少しずつ早くなり、胸の奥に熱が灯るのを感じる中で、遥は「だからさ」と言いながら繋いだままの僕の手を引いてその目を柔らかく細めた。
「いざと言う時は、彼氏のフリ頼んだからねっ! アキっ!」
---現在---
「アキ~、お風呂ありがと~」
夜。僕が一人暮らしをしているアパートにて、お風呂から上がって髪を乾かしてきた遥が、タオルを肩に掛けながらそう言ってくる。
それに、僕が読んでいた本から顔を上げて、「どういたしまして」と返すと、彼女は僕が読んでいた本を見て「お?」と微かに声を洩らした。
「なになに? ……催眠療法の本?」
「あぁ、うん。……ハルはさ、催眠術って信じる?」
僕の問い掛けに、遥は「催眠術?」と聞き返した。
それに、僕は「あぁ」と頷きつつ、手に持った催眠療法の本の表紙を彼女に見せた。
「最近講義で習ってね。ホラ、ハルは……最近、仕事で色々大変だろう? 興味があるなら、やってみないかい?」
僕の問いに、遥は微かに口を噤む。
……講義が終わって、僕の家に来た後……彼女は今回のスキャンダルについて、散々愚痴を言っていた。
恋人とのプライベートについて暴かれたことは勿論、自分も相手も何も悪いことなんてしていないのにまるで悪いことをしたかのように扱われていることや、仕事を休まなければいけないこと……他にも、モデルという仕事をする中での苦労や愚痴などが、まるで堰を切ったかのようにとめどなく溢れ出した。
彼女の仕事が大変なのは知っているので聞き手役に回っていたが、話を聞いている内にあっという間に日は沈み、気が付けば夜になっていた。
「授業で習ったんだ。催眠療法っていうのは、気持ちの回復や、緊張感の緩和……不安感の軽減みたいな効果もあるらしいよ。上手く出来る自信はないけど、遊びだと思ってさ。やってみない?」
「へぇ~そうなんだ! やるやる! やりたい!」
僕の言葉に、遥はその目を爛々と輝かせながらそう言って僕の隣まで駆け寄ってくる。
ソファに腰掛けている僕に対して、彼女はソファの上で正座を取るような姿勢になると、そのままズイッと身を乗り出してきた。
突然の接近に思わず息を呑みそうになったが、彼女の動きに合わせて揺れる首元のネックレスが視界の隅に入ると、微かに胸に灯った熱が引いていくのを感じた。
「じゃあさ、その……ネックレス、外してよ」
「うえ? これ?」
「うん。少しでもリラックスして欲しいんだ。催眠術を掛けている間だけだからさ」
僕の言葉に、遥はむぅと僅かに不満げな表情を浮かべていたが、すぐに「分かったよ」と言って首からネックレスを外した。
微かな金属音を立てて外されたそれを僕は掌に受け取り、彼女から見えるようにリビングのガラステーブルの上に置いた。
それからリラックスしやすいよう隣に座らせ、僕は早速施術を開始することにした。
「それじゃあ、早速やっていこうか。じゃあ、ハル。目を瞑って?」
「あいあい」
僕の言葉に、遥は言われた通りに両目を瞑る。
少しでも力を抜きやすいようソファの背凭れに凭れ掛からせながら、僕は耳元で続けた。
「じゃあ、まずは大きく二回、深呼吸をしてみようか。鼻から吸って、口から吐くように……」
「おぉ……なんかぽい……!」
「ハル?」
僕の施術がお気に召したのか、遥が目を瞑ったままどこか嬉しそうな声を上げるので、僕は思わず彼女の名前を呼んだ。
すると彼女は「ごめんごめん」と謝り、すぐに姿勢を正して、先程僕が言った通りに鼻で大きく息を吸う。
全く……彼女は出会った時からずっと、僕の調子を狂わせるのが得意だな。
「はい、良いね。大きく吸って……吐いて……」
「はぁぁぁ……」
「もう一度、吸って……吐いて……」
「すぅぅ……はぁぁぁ……」
僕の言葉に合わせて、彼女はもう一度大きく深呼吸をする。
「深呼吸が終わったら、自分のペースで呼吸を続けてね」
「……」
僕が囁いた言葉に、遥は言われた通りに深呼吸を止め、ゆっくりと穏やかに呼吸を繰り返した。
彼女の呼吸に合わせて肩や胸が微かに上下し、固く閉ざされたままの瞼から伸びた長いまつ毛が揺れるのを見て、僕は思わず生唾を飲み込んでから静かに口を開いた。
「……それじゃあ、今から僕の言う通りに、イメージしようか。今、君は水の中にいます。息は出来るし、温かい……安心する空間です」
僕の言葉に、遥の閉ざされた瞼が微かに震えた。
「安心して、リラックスして、奥深くへと……沈んでいきます。ス~っと力が抜けて、リラックスしますね。……では、これから僕が三つ数えて目を覚ますと、今のリラックスした気持ちの良い状態のまま、目を覚まします。今のぼ~っとぼんやりした催眠状態のまま、ゆっくりと目を覚ますよ。はい、一つ、二つ、三つ……」
パンッ、と。
遥の顔の前で軽く手を叩いてみると、彼女はビクリと肩を震わせてその目を開いた。
しかし、どこか焦点が合っていないような覇気のこもっていない目をパチパチと瞬きさせながら、彼女はキョトンとしたような表情で僕の顔を見上げた。
「ほぇ? え、今、その……催眠状態、ってやつ……?」
「う~ん……上手くいっていれば……」
「えっ、すごいね……! 多分掛かってるよ……! なんかふわふわして不思議な感じする……!」
凄い凄いとしきりに褒めてくる遥は、確かにその表情にはいつもの快活さや明るさは乏しく、声もどこか力が抜けて呂律が回っていない様子だった。
教科書のやり方を見様見真似でやってみたが、元々の信頼関係のおかげか、彼女の被暗示性が高いのか……上手くいったらしい。
それならば……と、僕はテーブルに置いていたネックレスを手に取り、遥と向き合った。
「それじゃあ、ハル。背筋を伸ばしてくれるかな?」
「えっ……? アキ、それって……」
「このネックレスを見ていてね」
僕の行動を不思議がる遥の声を半ば無視し、彼女の背中に手を当てて身体を起こさせた僕は、手に持っていたネックレスを彼女の目前に垂らした。
すると、彼女は目の前に垂らされたネックレスをジッと見つめながら「アキ……?」と微かな声を洩らした。
「あの……このネックレス、大事なやつ、だから……あまり、こういうことには……」
「それじゃあ、このネックレスを目だけで追ってね。顔は動かさないで」
掠れた声で紡がれる彼女の言葉を軽く聞き流しつつ、僕はそう囁いてからネックレスを軽く揺らした。
微かな金属音を立てて左右に揺れる桜のネックレスを、遥は言われた通りに眼球の動きだけで追いながら、その唇を微かに震わせている。
僕はそれを見て小さく笑みを浮かべつつ、空いている方の手を彼女の背中に添えながら続けて口を開いた。
「僕が指示をしたらその通りになるよ。目を瞑って」
囁いた瞬間、彼女はすぐに目を瞑る。
「はい、眠って。スッと力が抜けるよ」
そう言って彼女の背中を軽く叩くと、途端に彼女の体からガクンと力が抜けて前のめりに倒れる。
僕はそれを咄嗟にネックレスを持った手で受け止めると、両手で彼女の体を支えながらソファに凭れ掛からせた。
手を離すと、そこではぐったりと脱力したまま、安らかな寝息を立てて眠る遥の姿があった。
穏やかな呼吸に合わせて上下する胸。
その動きに合わせて振れる長いまつ毛と、微かに緩んだ艶やかな唇。
人気モデルとしての立場を確立したその美貌は化粧を落としても衰えることは無く、こうして僕の言った通りに脱力して眠っているその姿は、まるで精巧に作られた人形のようだと思った。
僕は気取られないよう静かに唾を飲み込むと、眠る彼女の頬に手を添えて、ゆっくりと優しく撫でた。
……いつからだろう。
彼女に惹かれ、恋焦がれるようになっていたのは。
生まれて初めて出来た、普通の友達。
明るく気さくに接してくれる遥と一緒にいる時間は心地良くて、その快活な笑顔で名前を呼ばれるだけで、胸が高鳴った。
いつしか、彼女と同じ講義を受ける日を楽しみにするようになった。
彼女の為に窓際の後ろの席を取り、隣の席に彼女が座るのを待ち侘びるようになった。
けど……僕が遥に向けている感情が、今まで僕に擦り寄って来た女子達が向けてきた感情と同じ物であることにも、気付いていた。
依存して、執着して、擦り寄って付き纏う……うんざりするような鬱陶しいまでの劣情。
……気持ち悪い。
もし、奴等が今まで僕に向けてきた感情を、今度は僕が遥に向けているだなんて知られたら……どんな反応をされるだろう。
その時の遥の表情を想像するだけで、吐きそうだった。
……それに、遥はモデルだ。
アイドルほど厳格では無いにしろ、恋人が出来たらスクープは出るし、仕事にだって影響する。
だから、少なくとも彼女がモデルとして働いている間は、友達として……彼女の傍に居続けよう。
いつか、彼女がモデルの仕事を辞める頃には、僕の感情も少しは整理出来るだろう。
そう思って、先延ばしにし続けていた僕の恋慕は……今朝発表された熱愛報道によって搔き乱された。
……遥の熱愛報道?
しかも、相手は今人気が出始めているアイドルグループのメンバーじゃないか。
いや、最近彼女のモデルとしての知名度は上がり、メディア出演も増えている。
俳優やアイドル等との共演も増えてきているし、年の近い男性タレントと親しくなって一緒に外出することだってあるのだろう。
こんなの、根も葉もない噂だ。
そう思っていたのに……──。
『もしかして、言ってなかったっけ? ……私、この人と付き合ってるんだよ』
……一体、今まで僕がどんな想いでこの気持ちを押し殺してきたと思ってる?
遥の負担になりたくないから、彼女の仕事の妨げになりたくないから。そう思って自分の感情を噛み殺してきた。
だと言うのに、自分は異性のアイドルと交際しているだなんて……しかもそれを、黙っていただなんて……ッ!
強く握り締めた拳の中で、彼女が身に付けていたネックレスがクシャリと軋む。
……このネックレスは、交際一ヶ月記念に貰ったものだと言っていた。
一ヶ月? 一ヶ月もの間、君は恋人がいるなんて重要なことを隠していたのか?
それに、僕が遥の交際を知ったのは、熱愛報道がきっかけだった。
今回スクープされなかったら、これからも隠し続けるつもりだったということだろう?
結局、僕は遥にとって、今まで擦り寄って来た異性や多くのファンと変わらない……有象無象と同じだったということ。
彼女が、世間体も外聞も気にせずに好きな人との時間を優先すると言うのなら……相応の態度で、それに応えるまでだ。
こうなったら、手段なんて選んでいられない。
講義で知ったばかりの胡散臭い催眠術だろうと、何だって利用してやる。
僕は相変わらず眠ったままの彼女の唇を親指でなぞり、ソッと軽く唇を重ねる。
座学で軽く聞きかじっただけのド素人の施術だというのに、本当によく掛かっている。
テキストには、施術者との信頼関係が強ければその分催眠は掛かりやすいと書いてあったが……君はそれだけ、僕のことを信頼してくれていたのかな?
これだけ深く掛かっているのなら……多少無茶な暗示でも、入るのではないだろうか。
本当は、もう少し段階を追っていくべきかもしれないが……愛する人の、こんな無防備な姿を見せられて、これ以上我慢が出来る筈も無いだろう。
僕は静かに眠る彼女の髪を優しく撫でると、色素の薄い長髪を耳に掛け、ソッと口を近付けた。
「遥……僕の声が聴こえるかい? 聴こえたら、目を瞑って眠ったまま、返事をして」
「ん……はい……聴こえ、ます……」
僕の言葉に、遥は両目を固く閉ざして眠ったまま、重たく抑揚の無い声でそう答えた。
返事をすると、彼女はまたすぐに寝息を立てる。
改めて彼女が深い催眠状態になっていることを確信した僕は、彼女の頬を撫でながらゆっくりと続けた。
「それでは、意識は深く眠ったまま、ゆっくりと目を開こうか。目を開いても、貴方の意識は眠ったまま……今の、心地良いふかぁい催眠状態のまま、目を開くことが出来ますよ」
「……はい……」
僕の言葉に、遥はピクリと瞼を震わせて重たく返事をすると、そのままゆっくりと瞼を開いた。
露わになった濃褐色の瞳は虚ろに濁り、焦点の合っていない両目でどこか虚空を見つめている。
気付けば、半開きになった唇から一筋の涎が垂れ落ちるので、僕はそれを指で拭い取りながら続けた。
「それじゃあ……今、貴方の目には何が見えてるのかな? 教えてくれるかな?」
「はい、今……私の、目の前には……親友の、あき、が、います……」
……親友、ね……。
「そうだね。それでは、今から僕が三つ数えると、貴方は今の催眠状態から目を覚ますことが出来るよ。すると、今目の前にいる人のことが、恋愛対象として好きになります。そうだな……まるで、初恋の人のように、好きで好きで堪らなくなるよ。はい、一つ、二つ、三つ」
パンッと軽く手を叩いてみると、彼女の肩がピクリと震える。
かと思えば、彼女の虚ろに濁った瞳に少しずつ自我の光が戻って行き、次第に視線の焦点も定まって行く。
惚けたような表情を浮かべたまま、二、三度ほど瞬きをして意識を取り戻した遥は、顔を上げて目の前に立つ僕の顔を見て……──
「んえッ……? あ、あき、ら……ッ!?」
──声を詰まらせながら、その顔を真っ赤に染め上げた。
それに、僕は「うん?」と聞き返しながら彼女の顔を覗き込み、続けた。
「どうしたんだい? ハル? 僕がどうかした?」
「おわ、わ、わ、まま待って、アキ……! 近い、近いから……ッ!」
僕の言葉に、遥は慌てた様子で言いながら自身の顔の前でブンブンと両手を振り、ソファの上で後ずさる。
しかし、すでにソファに凭れ掛かる姿勢であった為に大して距離を取ることは出来ず、結果としてソファの上で膝を抱え込むような縮こまった姿勢でこちらを見上げていた。
普段の快活な彼女の姿からは想像も出来ない程に消極的な態度だが、これが好きな人に対する姿勢なのかと……愛おしさと、どこか仄暗い感情が胸の中に立ち込める。
なので、僕はソファの上に片膝をつくようにして身を乗り出し、縮こまる遥の上に覆い被さるようにして距離を詰めた。
「うわわッ……!?」
「どうしたのさ、ハル? 何か変だよ?」
「ま、待ってってば……!」
問い詰めるように語り掛ける僕に対し、遥は耳まで真っ赤に染め上げた顔でオロオロと視線を泳がせながらそう答える。
それに、僕は彼女の頬に手を添えて、その顔をこちらに向け──
「だ、だってッ……アキが催眠でこうしたんじゃん……ッ!」
──ようとしたところで、彼女はそんな風に声を張り上げる。
それに、僕は思わず動きを止めると、遥は縮こまった姿勢のまま上目遣いでこちらをゆっくりと見上げた。
「や、マジ、凄いね……催眠術って……多分、ホントに私、アキのこと好きになってる……」
「……何を……」
「はは、顔あっつ……さっきから、ずっと心臓バクバク言ってるんだ。ホント凄いね。……でも、なんでこんな催眠掛けたの? アキ……?」
恐る恐ると言った様子で聞き返してくる彼女の言葉に、僕は答えられない。
……なるほど。催眠術に掛かっている、という意識はそのままなのか。
確かに、さっきは僕のことを好きになる、という暗示しか入れていないが……だとしたら、今の彼氏への気持ちも残ったまま……?
遥の被暗示性の高さであれば、暗示で彼氏への気持ちを消すことは容易だろうが……と、しばし熟考した僕は口元を緩め、彼女の潤んだ瞳を真正面から見据えながら口を開いた。
「ハル。今から僕が指を鳴らす度に、君が僕を好きだと思う気持ちが強くなっていくよ」
「えっ? アキ……?」
「段々僕のことが好きで好きで仕方が無くなっていって、僕のことしか考えられなくなる。頭の中が、僕のことだけでいっぱいになるよ」
僕はそう言い終わるのが早いか、パチンッと右手の指で乾いた音を鳴らした。
途端、遥はビクリと肩を震わせる。
細かい条件付けはしていないので、彼女が今どれくらい僕のことを好きになったのか分かりにくいな……なんて考えつつ、僕は彼女の目を見つめたまま、何度も指を鳴らした。
パチンッ、パチンッ、パチンッ、パチンッ、パチンッ、パチンッ、パチンッ……。
リズミカルなスナップ音を数えるのも億劫になるくらい奏でていると、遥は「もうやめてッ!」と裏返った声で言いながら両手で僕の右手を掴んだ。
見れば、そこではその顔を耳まで真っ赤に染め上げた遥が、今にも泣き出しそうな顔で僕の手を掴んでいた。
「もう、やめてよ、アキ……なんでこんなこと……」
「急に手を繋いでくるなんて、ハルは大胆だね?」
上ずった声で言う彼女の言葉を軽く聞き流しつつ、僕はそんな風に答えながら、右手を掴んでいる彼女の両手を握り返した。
すると、彼女はピクリと微かに肩を震わせて硬直するので、僕はそれに笑みを返しながら──パチンッ、と左手を鳴らした。
「ッ……!?」
「ハル、忘れたの? 僕は左利きだよ?」
ギョッとしたような表情でこちらを見つめ返す遥に、僕はそう答えながら左手の指で何度もスナップ音を鳴らした。
しばしの間は僕の手を掴んだまま困惑したような表情で固まっていた遥だったが、やがて「もうやめてってば!」と声を荒げながら片手で僕の左手も掴んだ。
すると、ただでさえ遥の上に覆い被さるような姿勢だった為か、そのまま両方の手を繋ぎ合って至近距離で見つめ合うことになる。
なので、僕はそれぞれの手に指を絡め合い、ギュッと強く握りながら口を開いた。
「そんなに手を繋ぎたかっただなんて……言ってくれたら僕から繋いだのに」
「~~~~~~ッ!」
自分でもしらばっくれているとは思ったが、そんな僕の言葉に遥は真っ赤な顔で言葉にならない声を上げ、必死に僕の手を解こうと藻掻いた。
それに彼女の手を握ったままでいると、次第にその動きは弱々しいものへと変わっていき、やがて彼女は俯いたまま微かに唇を震わせた。
「あ……あき、は……」
「うん?」
「なんで、私に……こんなことするの……?」
そう聞き返す遥の目には、じんわりと涙が滲んでいた。
僕はそれに一瞬息を呑んだが、すぐに小さく息を吐くように笑みを零した。
「なんで、って……ハルのことが好き、以外の理由がある?」
「……えっ……?」
「気付いてなかった?」
掠れた声を洩らす遥に、僕は軽く小首を傾げながら聞き返した。
それから、掌の中にある彼女の手を握り直しつつ、僕は続けた。
「いつからかは覚えてないけど……ずっと前から、君のことが好きだったよ。……こうして、手段も選ばずに手に入れたいと思うくらいには、ね」
「なッ……だって、今まで、そんな素振り……」
「必死に隠してきたからね。ハルの仕事の邪魔になりたくなかったし、友達からこんな感情を向けられても、気持ち悪いだろうと思ったから」
でも……と、僕は若干の名残惜しさを感じつつも左手だけ遥の手を離し、ポケットに仕舞っていた彼女のネックレスを取り出した。
シャラッ……と微かな音を立てて露わになったネックレスを見て、彼女はピクッと微かに肩を震わせるので、僕は手に持ったネックレスを彼女の視線の高さまで持ち上げながら口を開いた。
「君が誰かの物になるくらいなら……いっそ、なりふり構わずでも良いから、君を僕のものにしたいと思ったのさ」
「そんなッ」
「ねぇ、遥」
声を上げる遥の言葉を遮るように、彼女の名前を呼ぶ。
それに、彼女はピクリと肩を震わせて口を噤むので、僕は手に持ったネックレスを軽く揺らしながら続けた。
「僕と彼氏……どっちが好き?」
「えっ」
「最後は遥が選んでくれなきゃ。僕と彼氏、どっちと一緒にいたいのか」
僕はそう問いかけながら、遥の顔を見つめる。
熟れたリンゴのように、耳まで真っ赤になった顔。
不安げにこちらを見つめる潤んだ瞳。
繋いでいる右手の平には汗が滲み、まるで今にも握り返したそうに指先に微かな力が籠っているのを感じる。
視線が交わると、彼女は微かに息を呑んで唇を震わせ、パクパクと口を動かしたかと思うとグッと口を噤み……──そして、その目に大粒の涙を浮かべた。
「っ……」
「選べないよ、そんなの……ッ」
彼女は涙で上ずった声でそう言いながら、伏し目がちになったその目からボロボロと涙を零す。
突然のことに答えられずにいると、彼女は右手で溢れ出る涙を必死に拭い取りながら続けた。
「だ、だって……ッ、わたし、あきのこと、好きでッ……好きで、好きでッ、たまんないけどッ……でもこれッ……催眠で作られた、感情なんでしょう……ッ?」
「はる」
「でもわかんないのッ! そんなのどうでもいいって思うくらい晃のことが好きッ! 好きで好きでたまらないのッ! でも、タクヤのことが好きだって気持ちも残ってて……催眠を掛けられる前の、私は、タクヤのことが、好きだった筈で……でも、今の私の、気持ちは……もう、どうしたら良いのか分からな」
嗚咽を漏らしながら必死に訴える遥の言葉に、気付けば僕は彼女の手を引き寄せ、そのまま抱き締めていた。
遥は決して小柄な部類では無いが、170を超える長身の僕と比べると華奢で、細くくびれた彼女の腰は強く抱き締めると折れてしまいそうだった。
しばしの間抱き締めた後、僕はゆっくりと彼女の体を離し、頬を濡らす涙を指で拭いながら口を開いた。
「ごめん、遥。……意地悪し過ぎたね」
「あきら……」
僕の言葉に、またもや彼女の目から涙が溢れ出す。
だから、僕は彼女の涙を拭い取りながら「泣かないで。可愛い顔が台無しだよ」と笑った。
「そうだね。きっと……僕を想う気持ちと、彼氏くんを想う気持ち。どちらかに選べなくて辛いね。苦しいね」
僕はそんな風に語り掛けながら、泣きじゃくる彼女の頭を優しく撫でる。
遥はグスグスと涙を啜りながら「ん……」と小さく頷くので、僕は彼女の長い髪を指で梳くと、その手を彼女の頭の後ろに持っていき……──乾いた音を立てて、指を鳴らす。
すると、彼女はピクッと微かに肩を震わせて硬直するので、僕はソッと耳元に口を近付けて続けた。
「覚えてる? この音が聴こえたらどうなるか」
「あ……あきが、指を、鳴らしたら……音が鳴る度に、あきのこと、好きになる……」
「よく言えました。良い子だね」
僕はそう告げながら、何度もスナップ音を鳴らす。
その度に彼女の肩が震えて表情が強張っていくので、僕は優しく笑みを返して続けた。
「緊張しないで。これは君を楽にする為にしていることだから。何も心配しないで、この音に身を委ねていて?」
「しんぱい、しない……みを、ゆだねる……」
僕の言葉を復唱する遥の瞳が、微かに揺らぐ。
視線がぶれ、表情が和らいでいくのを確認した僕は片手で彼女の体を優しく抱き寄せ、もう片方の手で指を鳴らす。
何度も、何度も、何度も。
遥の頭の中が僕でいっぱいになって、彼氏のことなんて微塵も考えられなくなるくらい、絶え間なく。
数えきれないくらい指を鳴らして、中指の先にじんわりと熱を帯びた鈍痛を感じ始めた頃、ふと彼女の両手に力が籠るのを感じた。
その手はゆっくりと動いて僕の背中へと周り……まるで縋りつくように、僕の体を抱き締める。
なので、僕は指を鳴らすのを止めると、その手で彼女の頭を優しく撫でた。
「遥。……僕にどうして欲しいの? 言ってみて?」
「……他のこととか、何も気にしないで……晃のこと、愛したい……!」
だから、と。
彼女は僕の体を離し、潤んだ目で真っ直ぐにこちらを見つめながら続けた。
「催眠術でも何でも良い……! タクヤのことも、何もかも忘れさせて……ッ! 私のこと、好きにして欲しい……ッ!」
「お安い御用さ」
必死な表情で言う遥に、僕は笑顔でそう答えて見せると、彼女の頬に手を添えてそのまま唇を奪った。
それに、彼女は一瞬ピクリと肩を震わせたがすぐにその目を緩め、僕の口付けを受け入れる。
数秒ほど時間を空けた後、僕は静かに唇を離す動作の中でゆっくりと彼女の体を後ろに倒し、ソファの背凭れに凭れ掛からせた。
「それじゃあ、遥。これを見て?」
僕はそう言いながら、手に持っていた彼女のネックレスを掲げて見せる。
すると、彼女は言われた通りにネックレスに視線を向けるので、僕は笑みを零しながら続けた。
「このネックレスは、君が彼氏との記念日にプレゼントとして貰った……云わば、君と彼氏の関係そのものを表す象徴だ。そうだろう?」
「ん……そうだね……」
僕の言葉を聞きつつ、ジッとネックレスを見つめていた彼女の目から少しずつ光が失せ、焦点が合わなくなっていく。
何度も暗示を重ね掛けしたから、催眠状態になりやすくなっているのかもしれない。
予想外の変化だが、好都合だなんて考えつつ、僕は彼女の目の前でネックレスを揺らしながら続けた。
「このネックレスには、君と彼氏……タクヤ、だっけ? 彼との思い出が詰まっている。だから、いっそ……彼に関する情報も、記憶も、感情も……彼と言う存在を全て、このネックレスに閉じ込めてしまおう。ホラ、このネックレスを見つめていると、彼との全てがこの宝石の中へと吸い込まれていくよ」
僕はそう言いながら、手に持ったネックレスを振り子のように揺らし続ける。
それに、遥は「ぅぁ……ぁ……」と微かな声を洩らしながら、顔は動かさずに目の動きだけでネックレスを追いかけ続けた。
……さっき催眠術を掛けた時の、目で追うようにって言った暗示が残ってるのかな?
そんな風に考えつつ、僕は片手で彼女の頭を優しく撫でながら続けた。
「ほら、もう思い出せない。このネックレスをくれた人はどんな人だったかな? 顔は? 声は? 性格は? 名前は? ほら、もう何も思い出せない。どんなに思い出そうとしても、まるで頭の中から、その人に関する記憶だけ抜き取られたかのように……思い出すことが出来ないね」
「ぁ……ぁぁ……」
「けど、構わないよね。その人に関することが無くなった分、僕がその穴を満たしてあげる。だから、遥は何も心配する必要は無いよ。……ほら、好きな人が目の前にいるだけで安心する。嬉しくなって、自然と笑顔になってくるよ」
僕の言葉に、虚空を見つめたまま惚けた表情を浮かべていた遥は、半開きになって涎を垂らしていた口を緩めて笑顔を浮かべる。
その様子を見つめながらネックレスを揺らす手を止めると、しばしの間は慣性の法則で揺れ続けていたソレは次第に動きを収めていき、やがて彼女の視線の中心で制止する。
言われるがままにネックレスを目で追っていた彼女の瞳も同じように停止し、若干の寄り目になっている。
そんな彼女の様子に僕は笑みを返しつつ、続けた。
「このネックレスが、これから君の額に触れます。そうすると、君が“彼”に抱いていた記憶や感情は完全にネックレスの中に吸い込まれて、もう二度と思い出せなくなります。……でも、もう顔も名前も思い出せないような相手なんだから、どうなっても良いよね?」
「ぇぁ……♡ ぁは……♡ ぁぁ……♡」
僕の言葉が聴こえているのか否か、彼女は相変わらず虚空を見つめたまま、どこか蕩けたような笑みを零す。
とは言え、ここまで無意識が曝け出されたような状況であれば、僕の暗示は確実に彼女の深層心理に刻み込まれていることだろう。
そう確信して手に持ったネックレスを彼女の額に近付けていくと、彼女の目もゆっくりと上の方へと向いて行き、寄り目も次第に強くなっていく。
やがて、彼女の額にソッと軽くネックレスを当てると……──
「ぉぉ……ッ!? ぉッ……ぁ……」
──と微かな声を洩らし、彼女の肩がピクッと僅かに震えた。
かと思えば、ネックレスを見つめ続けていた瞳がフッと上方へと引ん剥き、そのまま瞼の奥に消えていく。
一瞬白目になったかと思えば、彼女はそのまま瞼を閉じてぐったりと脱力した。
……眠った……? 何度も暗示を重ね掛けしていたから、流石に負荷が強かったのだろうか……?
少し無茶をさせ過ぎただろうかと心配しつつ施術の効果を確かめる為、僕は彼女の肩を掴んで軽く揺らしてみた。
「遥、遥。起きて?」
「ん……ぅ……」
僕の言葉に、彼女は微かに呻くような声を上げながらゆっくりと瞼を開いた。
まだ完全に意識が覚醒してはいないのか、焦点の合っていない目で二、三度ほど瞬きをすると、ゆっくりと首を動かしてこちらに視線を向けた。
目が合うと、彼女はふにゃりと柔らかい笑みを浮かべて、緩んだ唇を震わせた。
「あきら……♡」
彼女はどこか甘みを帯びた声でそう囁くと、僕の首に両手を絡めて軽く引き寄せ、そのまま唇を奪う。
突然のことに僕は僅かに目を見開いたが、すぐに彼女の頭に手を添え、一瞬の息継ぎの後ですぐに唇を奪い返す。
今度は、半開きになった唇の隙間を縫って、舌を挿入させながら。
彼女はそれに一瞬肩を強張らせて目を丸くしていたが、すぐにその目を緩めると自ら舌を差し出してくるので、僕はその舌を絡め取るようにして深い接吻を行う。
……と、そこで、片手に持ったままのネックレスが立てた微かな金属音が耳に届いた。
……邪魔だな……。
僕は遥との接吻を止めることなく、手に持ったネックレスのチェーンを指から引き抜き、そのまま部屋の隅の方へと放り投げた。
すると、流石にそちらの処理に気を取られてしまっていたようで、遥がソッと唇を離して不満げに僕を見つめた。
「ちょっと、あき? 何してるの?」
「あぁ、ごめん。ちょっとね」
僕の謝罪に、遥はむぅ……と軽く頬を膨らませる。
それに、僕は小さく笑みを返しつつ頭を撫でると、空いている方の手を彼女のショーツの中に潜り込ませ──「んんッ……♡」──湿り気を帯びた秘所を、優しくなぞった。
「あ、き……♡ 何して……♡」
「不安にさせた分、たくさん可愛がってあげようと思って。……ホラ、ここ、すでに大分濡れてるよ? もしかして、期待してくれてた?」
「んッ……♡ 分かってるなら……いじわる、しないでよ……♡」
潤んだ目でこちらを見上げ、甘い熱のこもった声で言う彼女の言葉に、僕は思わず笑みを零す。
それからすぐに彼女の唇を奪うと、人差し指を濡れた蜜壺の中へと潜り込ませていった。