【先行公開】盲目な絆に絆されて(脳くちゅ・寄生洗脳IF) 後編
🕑 Added 2024-01-07 09:00:00 +0000 UTC
<ルシェ視点>
未知とは恐怖だと、誰かが言った。
私にとっての未知……それは、“孤独”だと思う。
生まれた時から、私の人生には常に誰かが居てくれた。
優しいお母さんと、しっかり者のお父さん。
そして、カッコいいけどちょっぴりおっちょこちょいな所もあるお姉ちゃん。
家を出ればお姉ちゃんの友達のアイルさんがいて、少しして村にユイちゃんが来た。
大好きな人達に囲まれた人生を送ってきた私には、皆がいない世界は考えられなかった。
だけど、小さい頃に一度だけ、私は孤独を経験したことがある。
前も後ろも分からない暗闇の中で、私は一人で膝を抱えて泣いていた。
どんなに泣いても独りぼっちなことに変わりは無くて、もうこのまま皆と会えないんじゃないかと思うと、怖くて怖くて仕方がなかった。
込み上げてくる不安や恐怖のままに、声を上げて泣きじゃくっていたっけ。
でも……私は独りじゃなかった。
私がいた暗闇に、一筋の光が差し込んできたから。
光と共に現れたその人は、泣いていた私の涙を拭ってくれて、それから……──。
---
「はッ、はッ、はッ、はッ、はッ……!」
息を切らしながら宿屋を飛び出した私は、そのまま無我夢中で地面を蹴る。
たった今目にした光景が頭から離れない。
部屋の扉を開けたらお姉ちゃんが嫌がるユイちゃんのことを押さえつけていて、何をするのかと思っていたら、アイルさんがユイちゃんにキスをしていた。
ユイちゃんは……否、ユイちゃんもアイルさんのことが好きだった筈なのに、キスを迫られた彼女は強い拒絶を示していた。
なのに、アイルさんは強引にユイちゃんの唇を奪った。
ユイちゃんは助けを求めていた。私は助けに行くべきだった。
だけど、大好きなアイルさんとお姉ちゃんがユイちゃんに酷いことをしている状況が理解できなくて、動くことが出来なかった。
……違う。そんなのは言い訳だ。
お姉ちゃんは勇者で、アイルさんはそんなお姉ちゃんと一緒に剣を振ってきた剣士だ。
例え無策で立ち向かった所で、私じゃ勝ち目がない。
何より、大好きな人達の見たこと無い姿が怖くて……“あの時”と同じように、怯えて震えていることしか出来なかった。
だけど、分からないのは……アイルさんにキスされた後のユイちゃんだ。
彼女は鬼気迫る表情でアイルさんを突き飛ばして怒号を飛ばしていたが、次の瞬間には拉げた悲鳴を発してベッドから転げ落ちていた。
床の上に横たわったまま無機質な声を洩らしながらその身を打ち震わせ、落ち着いたかと思えばまるで人が変わったかのようにアイルさんに感謝して愛を囁いた。
彼女が口にした『ご主人様』という単語。そして、突然の豹変。
恐らくだが、アイルさんやお姉ちゃんの変化も、ユイちゃんの変貌に影響していると考えて良いだろう。
そして、この変化は聞き覚えがある。
恐らくこの宿屋が所有している物置小屋に身を潜めた私は、手頃な場所に荷物を下ろすとアイテムボックスの中から魔物図鑑を取り出し、分厚い本をペラペラと捲って目的のページを探す。
確か、あのページは……──。
「……あったっ」
見覚えのある魔物の挿絵を見つけた私は小さく声を発し、すぐさまそのページに指を当てて本を大きく広げる。
魔族領の奥深くに住んでいると言われている小型魔物、ファムワーム。
魔族や人族を始めとした人型種族の脳味噌に寄生し、繁殖する為の苗床とする魔物。
寄生された者は脳に宿った魔物のことを主として認識し、自身を主の所有物や器として、主の繁殖の為に動くようになる。
脳に寄生する魔物……そして、価値観の上書き。
アイルさんやお姉ちゃんが別人のように豹変した理由を説明するには、十分過ぎる程の情報だろう。
そして、アイルさんにキスされたユイちゃんまでもが変化したのは、キスによってファムワームを移されたから……と考えるのが妥当か。
どうして魔族領奥地に住んでいるとされているこの魔物が、人間領に現れたのかは分からない。
しかし、この魔物の生態や特性を読む限り、三人が変化した理由はこれしか考えられないだろう。
『注意!』
『この魔物は寄生した対象者(以下、罹患者とする)の記憶や性格特性を用いて、罹患者に健常時と同様の振る舞いを取らせます。これは非罹患者を苗床とする為の擬態であり、相手の警戒を解いて寄生することが目的です。ファムワーム生息地やその周辺地域に行った対象者と会った際、言動や行動に違和感がある場合はすぐに離れて下さい。』
ページの下に書いてあるその説明文に、私はグッと唇を噛みしめた。
本当に、アイルさんやお姉ちゃんがファムワームに寄生されていたとして……いつから、ああなっていたんだろう。
この町に着いてから? それとも今日の朝? もしくは王都を発つ前? それとも、まさか、もしかして……そんな疑念が、私の頭の中でグルグルと渦を巻く。
生まれた時から一緒だったお姉ちゃんと、初めてこの手で守りたいと思った大切な人。
そんな二人の変化に気付けなかった自分が、何よりも情けなかった。
だけど、今更後悔したってもう遅い。
今は、とにかく私に出来ることをするだけだ。
原因が分かったなら、いくらでも対策のしようがある。
今後の旅に向けて買い出しした直後だったおかげで、幸いにも材料は豊富に揃っている。
こういう魔法薬とかはユイちゃんの方が得意なんだけど……私だって、両親やユイちゃんの手伝いで何度も魔法薬の調合に触れてきたし、自分で回復薬を作ったことだってある。
グッ……と両手に拳を作った後、私は図鑑を見ながらアイテムボックスから魔法薬の材料を取り出し、ファムワームを退治する為の治療薬の調合を開始する。
ファムワームには全く弱点が無い訳では無い。図鑑によると、ファムワームの細胞を破壊してその体を溶かす成分があるらしく、その成分は丁度私が持っていた材料から作ることが出来るみたいだった。
この薬を使えば、三人を助けることが出来る……!
逸る気持ちを押さえながら薬の調合を行い、完成した薬を三本の小瓶に詰めて、何とか治療薬を完成させた。
あとはこの薬を三人に飲ませるだけ。でも、一体どうすれば……──。
──ガチャッ……──。
「ッ……!?」
思考を逡巡させていた時、不意に……小屋の扉が開く音がした。
ハッと顔を上げると、開いた扉の隙間から差し込んだ光が薄暗い小屋の中を照らしており、その先に……一人の人影が立っていた。
「あぁ、ルシェ。……こんな所にいたんだね」
「えっ、あっ……や、待って……」
にこやかな笑みを浮かべながら語る彼女の言葉に、私は掠れた声を洩らしながらも咄嗟に治療薬の小瓶を背中に隠し、ゆっくりと後ずさりをした。
決して広くはない、古びた物置小屋。
あっという間に木造の壁に背中が当たるのを感じ、私は静かに固唾を飲む。
すると、彼女はクスリと小さく笑みを零し、パタン……と後ろ手に扉を閉めながら口を開いた。
「ルシェは昔から、かくれんぼが上手だったよねぇ。いっつも最後まで隠れてて……何回見つけられずにギブアップしたことか」
「や、やだ……待って……ちがッ、これはッ……!」
「でもね、小さい頃から変わらない癖が一つあるんだよ。ルシェは本気で隠れる時、絶対に遠くには行かない。体力がないからね。私達の近くで、かつ死角になるような場所に隠れるの。こういう、すぐ隣にあるこぢんまりとした物置小屋とか、ね」
穏やかな口調で語りながら、彼女は軋む床を踏みしめて一歩ずつこちらに歩み寄ってくる。
どうしよう……!? どうしよう、どうしようどうしよう……!?
まだどうやって薬を飲ませるか考えてないのに……!
治療薬のことはバレてないみたいだけど、だからと言って「これを飲んで下さい」なんて馬鹿正直に渡した所で飲んでくれる筈も無い。
どうしよう……? いっそ、この小瓶を口に無理矢理突っ込んでしまおうか……?
いや、私が彼女に腕力で勝てる筈が無い。でも、他に方法なんて……。
「家の地下倉庫に隠れていた時はビックリしたなぁ。あの時のルシェ、こ~んな小さくて……隠れたは良いものの出られなくて、一人でグスグス泣いてたの」
「ひッ……!?」
考えている間に、彼女は私の前にしゃがみ込んで視線を合わせてきた。
手を伸ばせば届く距離。逃げられない。
こうなったらもう、イチかバチか。無理矢理にでも薬を飲ませ──
「怖がらせてごめん。よく頑張ったね」
──ようとした、正にその瞬間。
彼女は──お姉ちゃんは、優しい笑みを浮かべてそう言うと、私の頭を優しく撫でた。
頭に触れる温かな感触に、私は治療薬の小瓶を構えた姿勢のまま、呆けたように硬直する。
……何が……起こって……?
「おね……ちゃ……? 何を……」
「あれ……伝わってなかったかな? うーん……まぁ、直接言った方が早いか」
状況が理解出来ていない私の様子に、お姉ちゃんは困ったような笑みを浮かべながらそう言って、ポンポンと軽く私の頭を撫でる。
これは……昔から、私が怒ったり泣いたりしてる時に宥めたり、落ち着かせたりする時に、お姉ちゃんがよくする……──。
「安心して、ルシェ。……私はルシェの味方だよ」
だから、二人でアイルとユイを元に戻そう……と。
真っ直ぐに私の目を見つめて告げられたその言葉に、私は胸の奥から熱が込み上げてくるのを感じ……──
「お姉ちゃん!」
「うわッ!?」
──その熱に突き動かされるままに、お姉ちゃんに抱き着いた。
それから聞いた話では、どうやら私の予想は当たっていたらしく、お姉ちゃんは昨日の夜の間に寄生されたアイルさんからファムワームを移されていたらしい。
あとは私も知っている通り。今朝からしばらくは何ともないフリをして共に旅をし、この町に着いてから二人でユイを苗床にしたらしい。
「……でも、よく元に戻ったね? この図鑑では、ファムワームは自然消滅しないって書いてあったのに」
「うん。私も不思議なんだけど……ホラ、ルシェが逃げる時に物音を立てたでしょう? あの音を聴いて、ルシェが見てたってことに気付いてさ。そしたら、妹が見てる前で何てことしてるんだ~って、こう……ムカムカして! 気付いたら元に戻ってた!」
「あははっ! 何それっ。お姉ちゃんらしいね」
身振り手振りを付け加えながら熱心な様子で話すお姉ちゃんの言葉に、私は思わず笑みを零しながらそう答えていた。
するとお姉ちゃんは「何それ」と笑い、すぐに私の持っている魔物図鑑に視線を向けて続けた。
「でも……この短い間で、あの魔物について色々調べたんだね。寄生されてた私より詳しいんじゃないの?」
「あはは……うん。お姉ちゃんを助けなくちゃって、無我夢中でさ」
「や~、頼もしい妹を持って嬉しい限り。……で、どんな情報が見つかったの?」
お姉ちゃんはそう言うと、ズイッと体を近付けて私の持つ図鑑を覗き込んでくる。
突然の接近に驚きつつも、私はお姉ちゃんに図鑑を見せ、ファムワームに関する分かっている限りの情報を伝えた。
ある程度の情報を伝え終えた後、お姉ちゃんは「ふんふん」と頷きながらとある一文を指さし、顔を上げて私を見た。
「ね、ルシェ。……これってさ……」
「ん……?」
神妙な表情を浮かべるお姉ちゃんの言葉に、私は微かに聞き返しながらもその文章に視線を落とした。
それは、先程読んだ注意文だった。
この魔物に寄生されている罹患者は、健常時と同様に振る舞って非罹患者を油断させようとする、といった内容の……。
「……こう書いてあるけど……私のこと、信じて良かったの? ホラ、さっきもルシェ、この魔物は自然に消滅したりはしないって言ってたし……」
そう語るお姉ちゃんの表情は、いつになく不安げだった。
……もしかして、自信が無いのかな?
本当は、自分はまだファムワームに操られているんじゃないかって。
今は打ち勝てているけど、いずれはまた乗っ取られてしまうんじゃないかって。
私は彼女の言葉を吟味するように間を置いた後、ゆっくりとお姉ちゃんの顔に手を伸ばし……──「ルシェ? ……んぇッ?」──ピシッ、と。
彼女の額を、軽く弾いた。
「どうしたの? そんな弱気になるなんて、お姉ちゃんらしくないじゃん」
「ぅぇ……ルシェ……?」
「だって、お姉ちゃんは神様に選ばれた勇者様でしょう? こんな小さな魔物になんて負ける訳無いもん! 誰が何と言おうと、私はお姉ちゃんを信じるよっ」
私はそう言いながら、軽く見えない何かを殴るような素振りをして見せた。
お姉ちゃんはそれに驚いたように目を丸くして呆けていたが、やがてその目を柔らかく細めて「……ありがとう。ルシェ」と笑みを浮かべた。
それに笑みを返した時、手の中に握った三本の小瓶がカチャッ……と擦れる音が鳴り、私はハッと自分の手元を見た。
「そっか、そうだよ。お姉ちゃんっ! この薬飲もうっ!」
「えっ!? 急に何言って……」
「ファムワームを溶かす薬! すでに作ってるの! これ飲んだらお姉ちゃんの頭の中にいる魔物なんていちころだよっ! アイルさんとユイちゃんの分もあるから、これで皆元に戻れるよっ!」
私はそう言いながら、治療薬の小瓶を一本お姉ちゃんに手渡した。
すると彼女はキョトンとした顔で小瓶を見つめた後、「へぇ……!」と感心したような声を発した。
「凄いね! こんな短い時間で薬まで……! この薬を飲んだら、ファムワームが死ぬの?」
「うん、そうだよっ! ファムワームの体を溶かす成分を調合してるのっ! だから──」
だから、これを飲めばお姉ちゃんの不安も無くなると思うよ。
そう、言おうとした刹那のこと。
パリーンッ……! と。
乾いた音を立てて、お姉ちゃんの手に握られていた小瓶が床に落ちて、粉々に砕け散った。
散乱するガラス片と、床に浸透して染みを作る治療薬。
今、何が起こったのか。それを理解するよりも前に、お姉ちゃんはその手を横に薙ぎ払い、私が手に持っていた残り二つの小瓶も床に叩きつける。
砕け散るガラスの小瓶。粉々になったガラスの破片と溢れ出した液体が、薄暗い暗闇の中でてらてらと仄かな光を反射する。
……なんで……?
私、お姉ちゃん達を助け出す為に、一生懸命にこの薬を作って……この薬を飲んだら、頭に寄生したファムワームを殺して、みんな元通りになるって……。
だから、私……頑張って……。
「ダメだよ、ルシェ。……こんなもの作っちゃ」
頭上から降って来た冷ややかな声に、私はビクリと肩を震わせる。
……違う。そんな訳が無い。
お姉ちゃんは勇者なんだ。考え無しに突っ走っちゃったり、ちょっと残念な所もあるけど、強くてカッコいい……私の自慢のお姉ちゃんなんだ。
「私達のご主人様に何かあったら、一体どうするつもり?」
あんな気持ち悪い虫みたいな魔物になんて負けたりしない、強い人なんだから……ッ!
「嘘……だよね……? お姉ちゃん……どうして、こんな……」
「危ない危ない。あと少しでも遅かったらどうなっていたか……間一髪、かな?」
お姉ちゃんは私の手を払った手をヒラヒラと軽く振り、私の目を見て温かな笑みを浮かべる。
だけど、その目にいつものような温もりは一切感じられず、冷ややかな目が私を射抜いていた。
……ファムワームに打ち勝った訳では無かった……?
どうして、いつ、どこで、ファムワームの寄生と入れ替わって……?
いや、それとも、もしかして……最初、から……?
『怖がらせてごめん。よく頑張ったね』
『安心して、ルシェ。……私はルシェの味方だよ』
あの言葉も、私に向けてくれた朗らかな笑みも、いつもみたいに頭を撫でてくれた優しい手も。
何もかも、全てが……偽りだったと言うの……?
『注意!』
『この魔物は寄生した対象者(以下、罹患者とする)の記憶や性格特性を用いて、罹患者に健常時と同様の振る舞いを取らせます。これは非罹患者を苗床とする為の擬態であり、相手の警戒を解いて寄生することが目的です。ファムワーム生息地やその周辺地域に行った対象者と会った際、言動や行動に違和感がある場合はすぐに離れて下さい。』
脳裏を過ぎる、魔物図鑑の一ページに記された注意文。
違う……違う、違う違う違うッ!
お姉ちゃんはあんな魔物なんかに負けないッ! 負ける筈が無いッ! こんなの嘘だッ! 嘘に決まってるッ!
だって、お姉ちゃんはいつも皆の先頭に立って率いてくれる、優しくてカッコいい頼りになる皆の勇者なんだからッ!
一寸先も見えない暗闇のような絶望の中でも、常に前を照らし続けてくれる光のような、そんな人なんだからッ!
きっとすぐにいつもみたいに笑って、冗談だよ、って。
怖がる私を落ち着かせる為の、ちょっと笑えない冗談だって。
私は信じて──。
「それじゃあ、ルシェも……“私達”の仲間になろうね」
“お姉ちゃん”は冷ややかな笑みを浮かべてそう言うと、こちらに向かって手を伸ばしてきた。
その瞬間、私の背筋にゾワッと寒気が走る。
「ッ……! 嫌ッ!」
私はすぐさまお姉ちゃんの手を振り払い、床を蹴って小屋の扉に向かって走り出す。
とにかく逃げなくちゃッ! 逃げて、もう一度立て直さなくちゃッ!
治療薬の材料は無くなってしまったけど材料や調合法は覚えているし、材料は全てこの町で買えるものだ。
一度逃げて、何とか材料を買って、すぐにあの魔物を倒さなくちゃ──ッ!
「ひッ……!?」
「あっ、ホントだ。ルシェってばこんな所に隠れてたんだ」
「やっと見つけた……手間掛けさせて……」
扉を開けると、そこには……アイルさんとユイちゃんが立っていた。
なんで、この二人がここに……?
そういえば、ファムワームは個体間でお互いの居場所を共有出来るって、図鑑に書いてあった、ような……。
どうしよう。これじゃあ、逃げられない……。
咄嗟に後ずさりすると、背中に何か柔らかい感触が触れて……──。
「ル~シェっ! 捕まえたっ♡」
そんな風に呼び掛けられると同時に、背後から手を回されて優しく抱き締められる。
突然のことに声も出ず、私は両手で抱き締められたまま、恐怖にその身を震わせることしか出来なかった。
……恐怖……? 私は、怖い……のか……? 何が……?
私が人生で最も恐ろしい物。それは、孤独だった。
私の人生は常に誰かが傍にいて、支えてくれたものだから。
誰もいない孤独な人生など考えられなくて、怖かった。
今……私の傍には、大切な皆がいる。
素直じゃない所はあるけど、友達思いで可愛い所もあるユイちゃん。
ちょっと抜けてて心配になる時もあるけど、優しくていざという時は頼りになるアイルさん。
そして、いつも明るく未来を照らしてくれる、カッコいいお姉ちゃん。
大切な友達。守りたい、愛おしい人々が、傍にいてくれる。
なのに、どうして今……私は怖くて仕方がないの……?
「大丈夫だよ、ルシェ」
恐怖に震えて硬直し、動けないでいると……不意に、背後からそんな声を掛けられた。
同時に、ふわり、と……頭に柔らかな感触が当たる。
これは……この、感触は……──。
「大丈夫、大丈夫……何も怖くない……」
「ぁ……ぁぁ……お姉ちゃ……」
頭を優しく撫でられている。
そう気付いた瞬間、思わず喉から溢れた声は震えていて、目からは涙が勝手に溢れ出す。
嫌だ、やめろ。その言葉は、その撫で方は……──
「私が付いてるから……もう、大丈夫だよ」
──あの日、暗闇の中にいた私を助けてくれた、大切な物なのだから。
「ぅぅぁ……ぁぁぁ……ッ!」
腰が抜ける。力が入らない。
心が、気力が……折れる。
その場にへたり込みそうになった私を、背後からお姉ちゃんが抱き留める。
私の体を優しく支えたまま、ゆっくりと床に腰を下ろして、凭れ掛からせてくれる。
あの日と同じだ。
いつだったか、まだユイちゃんが村にいなくて、アイルさんの目が見えていた頃のこと。
お姉ちゃんとアイルさんと私の三人で、かくれんぼをしていた時だった。
私は昔から隠れるのが上手な方で、いつも二人がかりで探しても降参されるほどだった。
幼少の頃の私にとって、それは一つの特技でもあった。
だから、かくれんぼをする度に手を変え品を変え、少しでも二人に見つからないような場所を探して隠れていた。
ある日のかくれんぼのこと。
私は二人の裏をかくように、家の教会にある地下倉庫の中に隠れたことがあった。
こんな近くに隠れているなんて思わないだろうと、我ながら名案だと得意げだったのを覚えている。
しかし、どれだけ時間が経っても二人は来てくれなくて、地下倉庫の中は真っ暗で……怖くなって、私はかくれんぼのことも忘れて倉庫から出ようとした。
けど、前も後ろも分からない真っ暗な地下倉庫の中では、扉がどこにあったのかも分からなかった。
手を伸ばしても自分の手すら見えない暗闇の中で、早く出たいのにどこに行ったら分からなくて、誰も助けに来てくれなくて……このままずっとここで一人ぼっちなんじゃないかと思うと、怖くて仕方が無くて、私は声を上げて泣きじゃくっていた。
だけど、そんな時に倉庫の扉が開いて……一筋の光と共に、お姉ちゃんが助けに来てくれた。
息を切らして駆け寄ってきたお姉ちゃんは、泣いている私を強く抱き締めて……大丈夫、私が付いているからと、優しく頭を撫でてくれた。
そしたら、心の底から安心して……お姉ちゃんの胸で、声を上げてわんわんと泣きじゃくったのを、今でも覚えてる。
あの日、お姉ちゃんが助けに来てくれたから……私は、孤独以外の全てを恐れずにいられた。
例え何があろうとも、お姉ちゃんが……大切な人が傍にいてくれるって、信じられたから。
「だから安心して……一緒に、ご主人様に尽くそう?」
だから……その姿で、私に語り掛けないで……ッ!
「ぐすッ……やだ、お姉ちゃん……ッ……お願い、目を覚まして……えぅ……元の、優しかったお姉ちゃんに、戻ってよぉ……」
頬を涙で濡らし、嗚咽を洩らしながら、私は必死に訴えかける。
今頃、私の顔は涙やら鼻水やらでぐしゃぐしゃになって、見るに堪えない姿になっていることだろう。
だけど、そんなことはどうでも良かった。
私の姿なんかはどうでもいいから、ただいつもみたいに明るく笑って、前を照らして欲しくて……。
「何言ってるの? 目を覚ますって……私はずっと正気だよ?」
「ッ……ちが、お願いだからッ……──……ッ!」
いつもと同じ笑顔のまま、平然と語るお姉ちゃんの言葉に思わず言い返そうとした私の言葉は、頬に優しく添えられた手によって遮られる。
お姉ちゃんはそんな私を見つめて朗らかに微笑むと、親指で優しく私の涙を拭って続けた。
「そんなに怯えなくても大丈夫。初めてのことで不安かもしれないけど……きっとルシェも、ご主人様に従う幸せを理解出来るからね」
「ぅぁ……や……お姉ちゃッ──んぐッ!?」
私の言葉を遮るように、唇を奪われる。
あぁ、確か……ユイちゃんはこうやって、ファムワームを移されて寄生されたんだったっけ。
そんな風に考えていると、繋がった唇の隙間から口内に侵入してきた何かの肉塊が、喉を通って体内に入っていくのが分かった。
抵抗しなくちゃ。そう頭では理解しているのに、もう、体が動かなかった。
このまま、与えられる全てを受け入れたら……また、皆と一緒にいられるようになるのかな。
だって、皆を救う為に必死に頑張ってきたけど……寄生された皆は、こんなにも幸せそうなんだもの。
何も考えないで、全てに身を委ねてしまった方が楽になれるんじゃないかって思ったら、抵抗するのも馬鹿らしく思えてしまって……。
頭の中に響き渡る水音に身を委ねながら、ゆっくりと目を開くと……そこには、優しく私のことを見つめくれるお姉ちゃんの瞳が、視界一杯に広がっていた。
……大丈夫、だよね……。
だって、お姉ちゃんが大丈夫だって、言ってくれてるんだから。
このまま何もせず、身を委ねてしまっても……きっと、皆が傍にいてくれるから。
だから、だから……私は……──。
~~~~~
「ぷはッ……終わったかな?」
どれくらい時間が経った頃だろうか。
ふと唇を離したお姉ちゃんがそんな風に問い掛けてくるので、私はそんなお姉ちゃんの顔を見上げて、笑みを返した。
「うん……♡ ありがとう、お姉ちゃん。おかげで、やっと私もご主人様の素晴らしさに気付くことが出来たよ♡」
そう。お姉ちゃんのおかげで、ようやく私も知ることが出来た。
ご主人様の素晴らしさを。私はそんな素晴らしいご主人様の器として使われる為に生まれてきたのだと。ご主人様にこの身を捧げて尽くすことが何よりも幸せなのだと。
馬鹿な私でも、ようやく知ることが出来た。
しかし、同時に先程までの私がしでかそうとしていた愚行の罪の重さに気付き、私はギュッと胸が締め付けられるような息苦しさを覚えながら口を開く。
「ごめんね……私、知らなかったからって、あんな馬鹿なことッ……アレでもしもご主人様に何かあったら、私、死んでも償いきれな──」
「もう良いんだよ、ルシェ」
涙を流して自責の念を吐露する私に、お姉ちゃんはそう言って優しく抱き締めてくれた。
突然のことに思わず言葉を失っていると、お姉ちゃんは私の体を離してニッと笑って見せた。
「ルシェは自分の過ちに気付けたんだし、何事も無かったんだからさ。問題無し!」
「お姉ちゃん……でも……」
「そうだよ、ルシェ」
明るい笑顔で言うお姉ちゃんに反論しようとした時、背後からそんな声がした。
それに思わず振り返ろうとした瞬間、アイルさんが背中から私の体を抱き締めてくれた。
「わっ……!? あ、アイルさん……ッ!?」
「大丈夫、誰にでも失敗はあるよ。過去の過ちを悔やむんじゃなくて、これから挽回できるように頑張れば良いんだよ」
「それに、私達も付いてるから……ご主人様の為に、これから一緒に頑張ろ?」
アイルさんの言葉に続けるようにユイちゃんは言い、横から私の体を抱き締めてくれた。
三人に挟まれるように抱き締められ、温かいような苦しいような何とも言えない感覚の中で、私はぷはっと息を吐くように笑った。
「あははっ、そうだね……! 皆、ありがとうっ! 大好きっ!」
私はそう答えつつ、目の前にいたお姉ちゃんに抱き着いた。
皆の言う通りだ。何事も無かったんだし、こんな所でくよくよしてる場合じゃない。
これからうんと頑張って、皆の優しさとご主人様の寛大さに報いるんだ……!
大丈夫。私なら出来る。
だって私には、こんなにも頼りになる大切な仲間達がいるのだから。
---
数日後。
魔族領と人間領の境界線上にある小さな村にて、魔王討伐に向かう勇者一行が到着した。
この村を出れば、そこは魔族や魔物で溢れる敵地とも言える魔族領。
命の危機と隣り合わせと言っても過言では無い旅を目前に控えた勇者達を、村の人達は手厚く歓迎した。
「勇者様は神に選ばれ、人類に平和をもたらす我々の希望です。どうかこの村で体を休め、万全の状態で旅に行って下さい」
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、今日はゆっくり休ませて頂きますね」
両手に金色のロザリオを握った修道服の女性、シスター・ステラの言葉に、エスラは小さく笑みを浮かべてそう答えた。
すると、どこからか「わぁ~!」と歓喜の声が上がった。
「すげ~! 本物の勇者さまだぁ~! カッコいい!」
エスラが声のした方に視線を向けると、そこにいたのは茶色のショートヘアに琥珀色の目をした、小さな八重歯が特徴的な幼い子供だった。
薄手の毛布をマントのように身に付け、片手に太い木の棒を握ったその子供は、キラキラと輝く目でエスラを見つめている。
突然のことに驚いていると、「レオちゃ~ん……!」と弱々しく自信無さげな声と共に、こちらに向かって駆け寄ってくる人影があった。
「ま、待って……! き、急には、走らな、いで……!」
「も~フィリアおそい! ホラ見て! 本物の勇者さまだよ!」
駆け寄ってきた桃色の長髪をした少女、フィリアにレオちゃんと呼ばれた茶髪の少女が嬉々とした様子で声を掛ける。
すると、シスター・ステラは「こらこら」と宥めるように語り掛けながら二人の肩を抱き、エスラを見て困ったように笑った。
「ごめんなさい。この子達、勇者様に憧れてるんです。勇者様がこの村に泊まるって聞いてから、ずっと楽しみにしていたみたいで……」
「あぁ、いえいえ大丈夫ですよ! こんなに慕ってくれて、有難いくらいです」
シスター・ステラの説明に、エスラは軽く両手を振ってそう答える。
すると、ずっと近くでその様子を見ていたアイルが小さく笑みを浮かべ、エスラの元に歩み寄ってつんつんと肘で軽く小突いた。
「良かったね、エスラ。可愛いファンが出来て」
「何言って……まぁ、嬉しいけどさ……」
「では、皆様がお泊まりする宿にご案内しますね。こちらにどうぞ」
アイルにからかわれたエスラが何やら口ごもっていると、近くにいた茶髪の筋肉質な男性がそう言って軽く手を挙げた。
それにエスラ達は「はい」と答えると、シスター・ステラや子供達に軽く会釈をしてからその場を離れた。
遠くに歩いて行くエスラ達の後ろ姿を見送るや否や、茶髪の少女はすぐさま興奮した様子でフィリアの手を取りブンブンと強く振った。
「フィリア! すごかったねぇ本物の勇者さま! きいてた話よりもカッコよくてビックリしちゃった!」
「う、うん……! いっしょにいた剣士さんも、優しそうで良い人そうだったし……魔法つかい? の二人も、大人っぽくてキレイだった……」
「ねぇ~! 私たちもいつか、あんな風になりたいよねぇ!」
興奮冷めやらぬ様子で語り合う少女達の様子に、シスター・ステラは困ったような笑みを浮かべながらも、すぐに二人の肩をポンポンと軽く叩いた。
「はい、レオナ落ち着いて。これから勇者様達にお守りを渡しに行くんでしょう?」
「……あっ! そうだった!」
「レオちゃん……」
優しい口調で告げられた言葉に、レオナはハッとした様子で声を上げる。
それにフィリアは困惑したような笑みで呟き、シスター・ステラは小さく溜息をついてから口を開いた。
「憧れの勇者様に会えて興奮するのは分かるけど、もう少し落ち着いて? お守りを渡す時は、くれぐれも失礼のないようにね?」
「うッ……はぁい……」
静かに窘めるように続けられたシスター・ステラの言葉に、レオナは申し訳なさそうにそう答えた。
彼女の反応にシスター・ステラは困ったように嘆息し、フィリアはクスクスとどこか楽しげな笑みを零していた。
~~~~~
「ん゛ん゛ん゛ッ!? ん゛ぶッ!?」
「ん゛ん゛ッ!? ん゛ん゛~ッ!?」
村の一角にある、宿屋の一室にて。
ルシェとユイによって唇を塞がれたレオナとフィリアは、それぞれくぐもった声を洩らしながらファムワームの分体を口移しされていた。
ベッドに腰掛けてその光景を見守っていたアイルは、片手に持った木彫りのロザリオを軽く揺らしながら口を開いた。
「しかし、辺鄙な所にある小さな村だから期待はしていなかったけど……思いのほかご主人様好みの若い女の子が多くて良かったよね。エスラ」
「んんッ……ぷはッ♡ うん、そうだねアイル。この人なんかは村の人達からも慕われてるみたいだし、中々使えそうだよね」
エスラがそう言って視線を落とした先では、両目をグリンと上にひん剥かせ、「あッ、あッ、あッ、あッ……♡」と無機質な声を発するシスター・ステラの姿があった。
ビクビクと体を打ち震わせ、“ご主人様”による改造を受け入れる彼女の姿を尻目に、アイルは「そうだね」と呟くように答えた。
「だけど、決して大きい村では無いし……ご主人様の為にも、もっと私達の仲間を増やしていかなくちゃだよね」
「うん。まだまだ大変だけど、きっと大丈夫だよっ!」
グッと拳を作って言うエスラの言葉に、アイルは小さく笑みを浮かべると、同じように拳を作った。
それから二人がどちらからと言うことも無く拳を打ち付け合っていると、そんなエスラの背中に誰かが抱き着いて来た。
「何二人で良い雰囲気出してるの? 私とユイもいるよ?」
「ルシェ!」
「そうだよ。……私達四人なら、どうとでもなるでしょ?」
ユイは特に表情を変えることなくそう言いつつ、ベッドに座るアイルの隣に腰掛けた。
それにアイルは引き締めていた表情を緩め、エスラとルシェの方に顔を向けた。
ユイも釣られるように視線を向け、エスラとルシェが顔を上げると、丁度四人で顔を見合わせるような姿勢となる。
そんな状況が何だか可笑しくて、四人は誰からということもなく息を吐くように笑みを零した。
ご主人様に改造を受ける三人の村人の無機質な声を背景に、勇者達の朗らかな笑い声が室内に響き渡るのであった。