第1章 第八話
🕑 Added 2025-05-27 12:15:38 +0000 UTC
『それでも世界は回っている -OZ-』第1章「目覚めの草原」
第八話
⸻
第八話「それでも、前に進まなきゃいけないから」
⸻
朝。
目を覚ましたぼくの隣に、彼の姿はなかった。
代わりに、焚き火の横にひとつだけ、焼いた実が置いてあった。
まだ温かさが残ってる。だから、きっとさっきまでここにいたんだと思う。
「……」
静かだった。
風の音も、鳥の声もなく、空だけがやけに高い。
ドロシー──ぼくの名前を、あの人はもう覚えていないかもしれない。
昨日、あんなに近くにいたのに。
それでも、昨日のぬくもりだけは、本物だった。
* * *
小さな荷物をまとめて、出発しようとしたとき、彼が戻ってきた。
手には、小さな革袋。
「ああ……まだいたんだ。よかった」
「……うん。もう行こうと思ってた」
「これ、持って行って。水と、地図の切れ端」
「……地図?」
彼は、袋からぼろぼろの羊皮紙を取り出して、指を差した。
「この道を北に進むと、“クネロの村”がある。小さな村だけど、道が分かれてる分岐点なんだ。そこなら、もう少しマシな地図が手に入るかも」
「クネロの村……」
「そこに“灯を灯す塔”ってのがあるって、昔誰かが言ってた気がする。旅人はよくそこを目印にしてるみたいだよ」
「ありがとう……!」
「……ごめんね。本当は、もっといろんなことを教えてあげたいんだけど……」
その言葉の続きを、ぼくは聞かなかった。
たぶん、「もう君のことを覚えていない」って言いたかったんだと思う。
だけどそれでも、ぼくのために準備してくれたんだ。
──忘れても、心は嘘をつかない。
ぼくは笑ってうなずいた。
「行ってくるよ、クネロの村へ」
「……気をつけて。夜は冷えるから、しっぽはしまって寝るんだよ」
それは、昨日ぼくが言ったことを、ちゃんと覚えているみたいな口ぶりだった。
だから、もうなにも言わなかった。
ありがとうの代わりに、しっぽを軽くふった。
風の中、ぼくは歩き出した。
名も知らぬ誰かがくれた、たしかな希望を抱えて。