第1章 第九話
🕑 Added 2025-05-27 12:16:21 +0000 UTC
『それでも世界は回っている -OZ-』
第1章「目覚めの草原」
第九話
第九話「風の名を持つもの」
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クネロの村を目指して歩いていたはずなのに、いつのまにか道がわからなくなっていた。
いや、最初から道なんてなかった。
地図の切れ端に描かれていた、点線のルートは、草に埋もれてもう見えなくなっていた。
「……これで、合ってると思うんだけどな……」
風が強くなり始めていた。
空には雲が出はじめていて、日が暮れる前にどこか避難しなければと思った。
そのときだった。
草の向こう──夕暮れの光の中に、誰かの影が見えた。
背の低い、白いフードをかぶった存在。
ふわふわした長い耳のようなものが揺れている。
「……あの……!」
声をかけた。けれど、相手は返事をせず、草の向こうへと消えていった。
ぼくは慌てて追いかけた。
風が一段と強くなり、砂ぼこりが舞った。
目を細めながら丘をのぼると──そこに、小さな祠のようなものがあった。
風除けになりそうな石造りの構造物。誰かが残した古い避難所かもしれない。
その前に、白いフードの人物が立っていた。
「……あの……」
ぼくがもう一度声をかけると、今度はゆっくりと振り返った。
白い毛並みの、不思議な顔立ちをした獣人。
うさぎか鹿か……あるいはそれ以外の、どこか神聖な印象を受ける姿。
「旅人か」
低く静かな声だった。
「……はい。クネロの村を目指していて……道に迷ってしまって」
「ならば、ここで夜を越せ。今夜の風は、目に見えないものを運ぶ」
「……?」
「名も、記憶も、心も。風の力は、あらゆるものをさらう」
ぼくは思い出した。
──昨日、名前を忘れられたあの朝のことを。
「……あの……君は、誰?」
その存在はしばらく黙ってから、答えた。
「名は風とともに変わる。だが今は“ユウ”と名乗っている」
「ユウ……」
「お前の名前は?」
「ドロシー……です」
「……名は、風が記憶する。お前がそれを忘れても、風のどこかに、残るだろう」
その言葉は、とても優しく、どこか寂しかった。
ぼくは、そっとその祠の入口に腰を下ろした。
ユウも隣に座り、何も言わず、ただ空を見ていた。
遠くで、雷のような音がした。
でも、それはただの風が山を越える音かもしれなかった。
「クネロの村は、あの丘の先だ。朝になれば、道が見える」
「……ありがとう」
「礼は要らぬ。ただし──忘れるな」
「……なにを?」
「この世界では、“名前”がいちばん最初に風に奪われる」
ぼくはそれ以上、何も言えなかった。
風が吹いた。ユウのフードが揺れ、目元の仮面が少しだけずれた。
その瞳だけが、どこか悲しげに光っていた。