第1章 第十二話
🕑 Added 2025-05-27 13:16:33 +0000 UTC
【それでも世界は回っている -OZ-】
第1章「目覚めの草原」
第12話「夜の境界、朝の迷い」
夜が明けかけた草原は、まるで夢の境界線のようだった。
風が止み、草の音すら聞こえない静けさがあった。
ぼくは草の窪みにうずくまったまま、昨日の出来事を反芻していた。
風に、名前を奪われかけた。
世界に、自分が“いる”ということすら怪しくなった。
でも──その直前、胸の奥からなにかが反応して、
風を押し返してくれた。
それが何なのかは、まだわからない。
* * *
立ち上がって、背伸びをした瞬間だった。
「……おや、えらいとこで寝とる子がおるなぁ。風、よう吹いてたやろ?」
低くて、丸い声。
振り返ると、草のむこうから、まるまるとした狸の獣人がこちらを見ていた。
ふわふわとした焦げ茶の毛並み。
着物のようなゆったりした衣を羽織り、腹は大きく膨らんでいる。
顔立ちは丸く、優しい眼差しと垂れた耳。
口元には小さな牙がのぞいていたが、まったく威圧感はなかった。
「ご、ごめんなさい……びっくりして……」
「ええんよええんよ。風が強かったやろ? ここら、寝る場所にゃあ向いとらへんのに」
「……君は?」
「わいか? ラセル、言うんや。狸の旅人や。まぁ、だいぶのんびりしてるけどなぁ」
「たぬき……」
「せや。で、あんたさんは?」
「……ドロシー」
ラセルはまるい目を細めて笑った。
「ほぉ、ドロシーちゃんか。やわらかい響きやなあ。ぴったりや」
彼はゆっくりとぼくの近くに来て、どすんと音を立てて腰をおろした。
地面がほんの少し揺れた気がしたけれど、それがまた、なんだか安心した。
「昨日、風の渦に触れたやろ?」
「……どうして、わかるの……?」
「なんとなぁく、わかるんよ。風に擦れてきた獣ってのは、そういうとき“ちょっと色が変わる”んや」
「色……?」
「せや。目ぇの奥のな。今の君、世界に問いかけられてる顔しとるわ」
ぼくは黙ってうつむいた。
問いかけ。
──たしかに、あの風はぼくに何かを試していた。
「君、次の行き先、決まっとるんか?」
「……バステの遺構。地図でそこに行けって……」
「ほぉ、それやったら道のりが長うなるなぁ。草原、まだ半分も越えとらんで」
「……うん」
「せやったら、わいも一緒に行こか? ちょうど似たようなとこ目指しとるんよ」
その申し出に、ぼくは思わず顔を上げた。
「ほんとに……?」
「旅はなぁ、腹だけやなくて、心もあっためてくれる誰かがおる方がええ。
わいはのんびりやけど、風よけくらいにはなれるかもしれんわ」
その笑顔は、ぽかぽかしていて──
昨日の風の冷たさを忘れさせてくれるくらい、あったかかった。
「じゃあ……よろしく、ラセル」
「おう、よろしゅうな、ドロシーちゃん」
ぼくの新しい旅が、またひとつ始まった気がした。
今度は、誰かと一緒に。
そして、この草原の向こうへ。